花曇なのか春霞なのか。青空は見えなかった。
ぼんやりとした空から柔らかな陽射しが降り注ぐ。
気温も20℃を超えぽかぽかと暖かい。
玄関のシクラメンの花が20本になった。
もう蕾は見えておらず最後の花かもしれない。
それにしても昨年の12月からよく咲いてくれたものだ。
毎年花が終わると庭に放置していたのだが
今年はそのまま玄関に置いておこうかと思っている。
もしかしたらミラクルを起こしてくれるかもしれない。

今朝はいつも通りに4時に目覚めたがそのまま二度寝をしてしまう。
「おい、もう5時だぞ」と夫の声で跳び起きてしまった。
夜明け前の日課である詩が書けるだろうかと心配になる。
息を整えてなんとか書き始めればそこそこの詩が書けた。
「まあこんなもんだろう」と思う。
自己満足に過ぎないがどれほど書くことに拘っていることだろう。
その後も日曜日らしくゆったりと時を過ごす。
なんだか螺子が外れた玩具のロボットのようだった。
洗濯物を干し終えてから思い切って衣替えをする。
まだ「花冷え」の日もあるだろうが冬物を着る程ではないだろう。
娘たちはもう半袖で過ごしているくらいである。
8時頃から茶の間で30分程うたた寝をした。
朝の情報番組を見たかったのだが夫が西部劇を見ていた。
インディアンが銃で撃たれて死んだ。夫は面白そうに観ている。
いったい何処が面白いのだろうと嫌な気持ちになった。
9時を過ぎて重い腰を上げ買物に行く。
創作仲間の友人に会いそうな気がしたが会わずに済みほっとする。
今朝の「高新文芸」に友人は短歌、俳句、川柳が入選していた。
凄い大挙だと思ったが落選した自分が惨めでならない。
「励み」とは何だろうと思う。私は落ち込むばかりであった。
昼食は冷凍パスタを温めて食べる。
少し物足らず「桜餅」を買って来れば良かったと思う。
満腹ではなかったがそのままお昼寝体制に入った。
しかし一時間もしないうちに目が覚めてしまいもう眠れない。
ちょうど「アッコにおまかせ」のラストで和田アキ子の涙を見た。
40年も続いた長寿番組であるがアッコさんも限界なのだろう。
眠れなければ何もすることがなく自室でしばらく過ごす。
アイスコーヒーを飲みながら煙草を何本吸っただろうか。
SNSを見ていたら「笹色たま虫」さんが小説を書き始めたとのこと。
文才があるのできっと素晴らしい作品になることだろう。
80歳を目前して「書こう」と決めたことがとても尊い。
それにしても自信に溢れている。何だか別世界の人のように思えた。
夕食後に窓から川向かいの山を眺めていたら
ほんの僅かであるが山桜が咲き始めたようだ。
てっぺんの大きな桜の木にはまだ咲いていないが
あと数日もすればきっと咲き始めることだろう。
蕾がふくらみ花と咲く時、ふっと我が身を重ねてしまう。
まさか蕾のままで枯れてしまうことはあるまい。
70歳を目前にして「つぼみ」とはとてつもなく愚かであるが
咲けないからにはそう受け止めるしかないだろう。
私はいつだって「励み」を求めている。
※以下今朝の詩
布裂
いったい何処に向かっているのか 心細くてならない時がある
坂ならばのぼろう 丘ならば越えよう 野であれば花を摘み 川ならば水に触れよう
父がいて母がいた 幼い頃の記憶が まるで一枚の布のように 折り畳まれている
広げれば懐かしい 折り目ははっきりと その節目を光らせている これは父これは母だと 触れたらもう涙しかない
永遠に続くことは在り得ず 古びてしまえば裂になる どれ程の節目だったことか
いったい何処に向かっているのだろう 捨てることの出来ない布を 胸に仕舞いあたらしい春をいく
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