泡沫の記
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2004年11月17日(水) 愛されたい

ある、質問のサイトで「医者になるには医大を出なければ無理でしょうか?」というものがあった。
すでに回答は締め切られていたけれど、私なら
「それを質問しなければわからないような人には、どっちにしても医師免許は無理です」と答えたかった。

私は大変欲張りなので、それが不当に高い要求だとわかっていてもどうしても欲しいと思ってしまう。分をわきまえてければ、とは思うが欲しいものは欲しい。
思えば、本当に欲しいと思うものが手に入ったことはほとんどない。お金で買えるものならまだ望みもある。(実際に、お金はないけど)でも欲しいと思うものが例えば「貧乏でもそこそこ楽しい我が家」みたいな平凡な夢でさえ叶わなかった。私の生まれ育った環境もそうですが。


親友とも話したのだが「現実にはお金なんだよ、幸せがお金じゃないことはない」と思う。
金持ちではないにしろ、金がある人間に限って「幸せってお金じゃない」と言うのだ。

私だって贅沢をするほどの金ではなく、生活できるだけのお金が欲しい。(誰でもそうだろうけど)
なにせいま私の心がグラグラなのである。安定するためにはお金がいる。お金が必要なら稼ぐしかない。でもいますぐにマイナス50とマイナス51とどちらがマシか?ぐらいのレベルの仕事についたところで長続きできないことは目に見えている。それはクリニックの先生にも釘をさされている。まずは私自身をどうにかしなければいけない。
「文句や屁理屈を言ってないで金が欲しいならまず働け」と思う自分も当然いる。
だけど、転ぶのが見えている状態でスタートしていいのか?転んだら立ち上がって、次の方法を考えればいいとも思う。けれど、転んだ傷は案外深いものだ。今までの経験上わかる。私とはそういう人間なのだ、残念なことに。気は強いけれども完全に内弁慶。


私は女としての自分には小さいころから強力なコンプレックスを持っている。不美人でセンスもろくになく、胸も小さい。
唯一ましなのは、太っていないことぐらいか。少なくてもデブではない。
そんな私も離婚するころあたりからか、急にこのまま冴えないオバサンになっていくのは嫌だと思いはじめてしまった。
なんというのか、自分自身にきちんと手入れをすることを意識するようになる。顔だちの善し悪しは生まれつきだからしょうがないとしても努力すれば、絶対に今よりマシになると思いいろんな努力をするようになった。努力と言っても自分がしたいことなので特に苦痛はない。
最近綺麗になったねと最近二人の女友達から言われた。
笑ってごまかしたが、以前が無頓着で手をかける前から諦めていたからだ。オバサン状態。

綺麗になったとしたら、それは自分が女であることを意識するようになったからだと思う。
見かけより中身だとよく言うが、見かけの問題と中身の問題は全く別の次元である。

見かけも悪くなく、中身もそこそこの方がいいに決まっている。中身がものすごく良いからと言って世間は女を忘れているような女には冷たいものだ。


努力するきっかけの根底は実はもっと単純だ。男に愛されたいのだ。
それも私が好きになった男に。
結婚など制度で縛る関係をあまり望んではいない。そんなものは互いが釣った魚状態になるだけで、何の得もない。
結婚したいだけなら、その方面で探せばよい。
本当に欲しいのは、私を必要としてくれる人、もっと言うならばこんな私を欲しいと思ってくれる相手。
そんな心の中の確固とした絆のようなものが持てる相手と心底恋愛をしたいのだ。

 好きだと思える相手に抱かれている状態はとても心地よい。なぜなら少なくともその時だけは私が必要とされているからだ。嫌いな女を好んで不定期ながら何回も抱く男はいない。

だが目的が同衾以上でも以下でもないと思うと、やはり辛いし虚しい。自分が惨めに思えてくる。そう感じた相手には、時間はかかっても、やがて心にけじめがついてくる。もう期待するのは無駄であると。

いま好意をよせている人がいる。

私の気持ちは真剣だが、相手は真剣とか遊びとかどちらにも思っていない、考えていない様子だ。
私を好きなのかどうかたずねてみたが「さぁ?また会いたいとおもうぐらいだから好きなんじゃないの?べつに先がどうとかって、いま考えてもしょうがない。おまえの気持ちはわかるけど、思いつめられてもどうしてやりようもないから、おまえが苦しいなら無理することはない」と言った。
もちろん私も彼の性格や状況はわからないでもないので、過度の期待を持っても無駄であることは承知している。

こんな関係は多分一時的なもので、私が心底愛されることはない。
もともと、彼には女の私のように愛情に飢えるということがないと思う。
私は多分愛されない。
少し相手にしてもらって少し相手にしてやって、でなんとなく続くか離れるかがせいぜい。

いつもながら、こうやって自己分析していくことは虚しい現実しか残らない。

結局のところ、私という女は刹那的な生き方をするくせに、実は刹那的な性格ではないのだと、今更ながら実感する。


私はとてもずるいのだ。
一番嫌いな愛情のお仕着せをやっているのだから。
だから、今のうちに自覚しておこうと思う。
世話を焼くのは自己満足だけなのだと。
その程度で見返りを求めても、本当に欲しい心は手に入らないと。

つくづく、バカな女なのである。


波ちどり |MAIL

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