初めて浜田省吾の歌を、 レンタルCD屋で借りて聴いたのは、 「LONLEY」と言う曲のシングル盤だった。 その歌はそのカップリング曲だった。 B面にありがちな、退屈な歌と感じた。 ――――それをはじめて聴いた時は
そのシングルCDを2曲ともカセットにダビングし、 車で、またウォークマンで、日々繰り返し聴くうちに、
タイトル曲よりもカップリング曲の その歌の持つ優しさが心に染みてくようになった。
歌のタイトルは、 「もうひとつの土曜日」
『 昨夜眠れずに 泣いていたんだろう? 彼からの電話 待ち続けて テーブルの向こうで 君は笑うけど ひとみ縁取る 悲しみの影 』
今、目の前にいるキミのようだ。 また昨夜も、泣いたのかな・・・? “なみだの河”を泳ぎ疲れたみたいな、弱々しい笑顔・・・。
すべてを赦すということ。 すべてを受け容れるということ。 そして、いたわり合い支えあうということ。
それは若くて蒼い頃の“情熱”とかいった 激しくぶつけ合うようなものでなく、 人の悲しみや痛みに、そっとハンカチを差し出すような そんな“同苦”できる者達の 愛の姿の断片を描いた歌だ。
静かな波の音のように、 涼しげな月の灯りのように 心に伝わり広がっていく・・・。 とてもとても優しい歌だ。
オレが浜田省吾が好きだといったら、 真っ先にこの歌が好きだと言ったよな? この歌はこう歌っているよ。
『 もう彼の事は 忘れてしまえよ まだ君は若く その頬の涙 乾かせる誰かが この街のどこかで 君の事を 待ち続けてる 』
そう。 誰かが、きっと、待っているはずだ。
きっとキミを ありのままのキミを 赦し、 受け容れ、 少なくとも現在のクズのような彼よりは、 誰よりも、 誰よりもキミの事を愛してくれる人が きっときっと、待っているはずだ。 探してみてごらんよ・・・。
数歩ほど離れた歩幅の後ろで、 キミは空を見上げて 風を抱きしめていた。
「・・・でも・・いいよ、今のままで。 ・・・今のままで・・・いいよ。」
街のノイズにかき消されてしまいそうな 小さな小さなキミのその独り言。
ため息をつきながら、 そっと聞こえないふりをして、数歩先を歩く。
でも、時々立ち止まって振り向く。
キミがどこかへ消えてしまわないかを 確めるために。 そして、そこにキミがいることを 確めるために。
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