2005年09月19日(月) |
ハッピーマンデーをぶっつぶせ |
うちでは二千円札の事を「小渕の置き土産」と呼びます。 故人に失礼ではありますが、そのくらいあのお札はしょーもなかった。 お札に罪はないけれども、あの政策はほんとにただの「イベント」でしかなかった。 ハッピーマンデーも同様です。 『国民が喜ぶと思った』くらいしか考えはないんでしょう。そもそも「ハッピーマンデー」っていう名前がふざけてる。英語ですよ英語。しかも何のひねりもない…。いい年したおじさん達が寄ってたかってこれですか。これなら同じ意味がわからない単語でも「国民の休日」の方がまだましです。 しかし、ネーミング云々よりもまず根本的に、月曜を休みにして3連休を多く作れば庶民どもは皆喜ぶと思っている。その考え方が…どうかと。 腐っています。短絡的すぎる。理解できないとまでは言わないけど、これが国家のトップに立っている人間の仕事だと思うと悲しくなるね。 確かに連休にでもなって、ちょっと遠くまで出てみようなんて話になればそりゃわくわくはしますよ。しかしね。 その「遠くまで行く」ために必要な物は何ですか?バス?電車?それから出かけた先で泊まったり遊びにいったりしますよね? したらその出先では働いてる人がいないとリゾートにならないのですよ。ハッピーマンデーだからって国民誰もがハッピーな月曜日を送っていると思ったら大間違いなのですよ。 こんなくだらないことを考えたのは誰だ?そしてどうして肝心な所で我々は意見が出来ないシステムになってるんだ?そんなくだらないことやってる時間があるなら、もっと税金を有効に使えることを考えろ!ハッピーマンデーなんてまっぴらだ!!
ごちそうってのはたまに食べるからごちそうなのであって、毎日ごちそうを食べてる人はごちそうをごちそうと思って食べているはずがないのですよ。連休だって、嬉しい偶然が重なってできるからうれしいものだったはずなのです。 敬老の日とか、体育の日とか、せっかくの休日もこうして意味のないものになっていくのですね。 おねえさんは怒り心頭ですよ。
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