ぶらんこ
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 「結局、私のほうは遊びだったということね?」 「大きな意味ではそうだね。」 「大きな意味ってなによ。」 「こういうやりとりはもうやめようよ。楽しかったことまで、だめになってしまうよ。」 「もうだめになってしまったから、同じよ。」
『ハゴロモ』 よしもとばなな
大きな意味ってなんだろう・・・。 この本を読んだとき、この言葉が胸にチクリと刺さった。 なんてこったい、まるでわたしのために用意されたような。
大きな意味。 勝手に大きく解釈しないでよ。 まず最初にそう思った。 良い表現だ。これじゃ何も言い返せないじゃないか。 そうも思った。 優しいようで冷たい。 嘘っぽいくせにホントのほんと。
ずぅーっと昔、意識を薄める練習(?)をしていた。 それはまず、「意識する」ことから始める。 呼吸を意識する。瞬きを意識する。心臓の鼓動を意識する。 どれもこれも、いつもは無意識に行われているわたしのなかの生の営み。 そのみっつすべてを意識するように集中してみる。 それから、(ちょっと矛盾しているのだけれど)意識的に意識を薄めていくのだ。 意識していることを意識せずに、呼吸を、瞬きを、鼓動を、感じ、見、聴く。 そうすると少しずつ意識が薄れていく。 雲がどんどんとその形を変えながら動き膨らみ消えていくような感じで。。。。
大抵、成功の一歩手前くらいで終わってしまった。 時に、成功した(っぽかった)こともあったような気がする。 けれども、意識が薄まったことを意識してしまっているのだから、それが成功と呼べるのかどうかはわからない。 ばかばかしいほどに、ややこしい。。。。
大きな意味というのは、それに似ているな、と思った。 どんな感情でもすべて包み込むもの。 あなたが意識しようが意識しまいが、おおいなる愛はすべてを包み。。。。
わかっているつもりになっても心が痛む。 それでもいいのです。大きな意味では、きっと。
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