ぶらんこ
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泡立つ、塩辛い水。 四方から襲うでたらめな波。
いしいしんじ;『ポーの話』
「あんまり沖には行かんほうがいいよ、鮫がいるから。」 ウェットスーツ姿のおじさんにそう言われてビビってしまった。 慌ててはるか彼方、遠い沖にちびっこく見える青いフィンのこころの元へと向かう。 鮫がいるらしいことを伝えると、さすがのこころも一瞬うろたえた風。 彼女の手には網の紐がしっかりと握られている。海水のなかでは「がしち」がたっぷり、ゆらゆらと揺れている。 海に入ると俄然、生き生きとしてくるこころ。イルカみたいなヤツだ。と、いつも思う。 悔しいけれど、わたしよりも海の子。
海は不思議。 大好きだけれど、どこかで「怖れ」ている。 圧倒的な存在。それが海。 先のいしいしんじさんの言葉は凄い。 海のなかへ潜っていくときに感じる何かが目の前に表れる。そして、心のヒダ、細胞の奥深くまで滲みていく感じがする。
海のなかに潜るのが大好きだ。 たいした技量は持ち合わせていないので、せいぜい4mか5mくらいなのだろうけれど。 それでも海のなかはまったくの別世界で、心奪われてしまう。 そして、耳がツーンと鳴って、ほんの少しだけ、不安になる。 “Don't panic.”そんなときはそう言い聞かせて潜る。 浮上して息継ぎすると、大袈裟でなく、安心する。空気を深くふかく、吸う。 そうして、また潜る。 なんでだろう?自分でも不思議に思うのだけれど、しょうがない。 海のなかはどこか違っていて、それがとても魅力的でならないのかも。 ほんの少しの時間なのに、「永遠」と感じるほどに。 もしもスノーケルやマスクがなかったら、これ程でもなかっただろう。 フィン(足ひれ)もそう。 海のなかにいるときは、これらの道具が自分自身の身体の一部だといいな、と願う。魚になりたい、海のなかで。 変テコリンな願いだと思うと同時に、太古からの想いであるようにも感じる。 圧倒的に大きな存在である、海。
 がしち。 捕れたがしちは浜で割って海水で洗う。 身をスプーンで掬う。 非常に贅沢だけれど、わたしが食べられるのはこの瞬間のものだけ。 タッパーに入れて持ち帰ったものはもう美味しさが違う。 ・・・瓶詰めで売っているものに関しては別の話。 きっと防腐剤なんかが使われているせいかもね。。。。
この日の収穫のほとんどは、兄とこころによるもの。 わたしも捕ったけれど、こころの数には及ばず。 彼女は潜るとがしちもてらじゃ(とびんにゃ)もすぐに見つける。 レンズ入りのマスク(水中メガネ)が欲しい〜!と言っていたけれど、なんのなんの。 眼、すぅ〜ごく良いじゃーん、誰よりも〜。
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