ぶらんこ
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甥がカツオを持って来てくれた。 カツオ漁をしている親戚(わたしの従兄弟)から貰ったらしい。 前の晩に祖母の初盆で一緒に呑み、そのようなことになったとかなんとか。 「なんか知らんが、くれた」とは、甥の弁。 「昨夜、命令された」とは、従兄弟の弁。 なんじゃ???ユックライんきゃの言うことはわからん。(よって誰も気にせん)
最初、しび(キハダマグロ)かと思ったがカツオだった。 ユゥ(魚)をアチカウ(さばく)ことは出来るのだけれど、こんな大きなのになると無理なので、甥に頼んだ。 甥は快く引き受けてくれた(というか最初から彼がするつもりだったらしい)。 丁寧に手際よくさばかれていくそのさまは、芸術的だ。 見ているとなんだか神聖な気持ちになる。 さっきまで「魚」の姿だったのが、いわゆる「切り身」になるのだもの。 陳腐な言い方だけれど、こういうのって、とっても大事だと思う。 ちゃんと食わな・・・と、誰に言われるでもなく、心の奥で「わかる」。
カツオは、身は「お刺身」に、そのほかの部分は「あら炊き(あら煮)」にした。 懐かしい味。 昔はカツオのあら炊きをよくいただいた。 ただ、今回のような身のたっぷりと付いたやつでなく、骨にうっすらと辛うじて身が付いているようなものだった。 チンチンなんかは競って食べた覚えがある。 (チンチン=心臓。我が家だけがこう呼ぶのだろうか?)
ほろ酔いの長兄が眼を細めながら言う。 「カツオのあら炊きがあったから生きてこられたようなモン。」 それくらいよく食卓にあがった、というだけの意味ではない。 わたしはほとんど忘れていたのだけれど、幼い頃、カツオの「粗」をよく貰ってきたのだそうだ。 わたしたちの村はカツオ漁が盛んだった(もちろん今も変わらず)ので、漁船が戻ってくると新鮮なカツオがその場でさばかれ、売られる。 わたしたちは刺身を買うことは滅多になかったが、そのときに出る「粗」を譲ってもらった。 それを炊いて夕食のおかずにした。 つまり、それくらい我が家は貧しかったのだ。
「これがなかったら、お前達は育ってなかったかもしらんなー。」 兄があまりにも感慨深く言うので、余計に胸がしめつけられる。 と、突然、昔むかし、チュパチュパと骨にしゃぶりついた記憶が蘇ってきた。 そうそう!この味。
曲がりなりにも、皆、こうして大人になって、それぞれがそれぞれの「暮らし」をしている。 もうそれだけで素晴らしい。 兄弟姉妹が集まると、長兄はいつもそう言う。 母はあの当時のことを思い出してちょっぴり涙ぐむ。
昔話をしたりギターの弾き語りをしたり。 カツオの子らはこの夜も遅くまで飲んで唄った。。。
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