ぶらんこ
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2006年08月20日(日) カツオの子

   甥がカツオを持って来てくれた。
   カツオ漁をしている親戚(わたしの従兄弟)から貰ったらしい。
   前の晩に祖母の初盆で一緒に呑み、そのようなことになったとかなんとか。
   「なんか知らんが、くれた」とは、甥の弁。
   「昨夜、命令された」とは、従兄弟の弁。
   なんじゃ???ユックライんきゃの言うことはわからん。(よって誰も気にせん)






最初、しび(キハダマグロ)かと思ったがカツオだった。
ユゥ(魚)をアチカウ(さばく)ことは出来るのだけれど、こんな大きなのになると無理なので、甥に頼んだ。
甥は快く引き受けてくれた(というか最初から彼がするつもりだったらしい)。
丁寧に手際よくさばかれていくそのさまは、芸術的だ。
見ているとなんだか神聖な気持ちになる。
さっきまで「魚」の姿だったのが、いわゆる「切り身」になるのだもの。
陳腐な言い方だけれど、こういうのって、とっても大事だと思う。
ちゃんと食わな・・・と、誰に言われるでもなく、心の奥で「わかる」。


カツオは、身は「お刺身」に、そのほかの部分は「あら炊き(あら煮)」にした。
懐かしい味。
昔はカツオのあら炊きをよくいただいた。
ただ、今回のような身のたっぷりと付いたやつでなく、骨にうっすらと辛うじて身が付いているようなものだった。
チンチンなんかは競って食べた覚えがある。
(チンチン=心臓。我が家だけがこう呼ぶのだろうか?)


ほろ酔いの長兄が眼を細めながら言う。
「カツオのあら炊きがあったから生きてこられたようなモン。」
それくらいよく食卓にあがった、というだけの意味ではない。
わたしはほとんど忘れていたのだけれど、幼い頃、カツオの「粗」をよく貰ってきたのだそうだ。
わたしたちの村はカツオ漁が盛んだった(もちろん今も変わらず)ので、漁船が戻ってくると新鮮なカツオがその場でさばかれ、売られる。
わたしたちは刺身を買うことは滅多になかったが、そのときに出る「粗」を譲ってもらった。
それを炊いて夕食のおかずにした。
つまり、それくらい我が家は貧しかったのだ。


「これがなかったら、お前達は育ってなかったかもしらんなー。」
兄があまりにも感慨深く言うので、余計に胸がしめつけられる。
と、突然、昔むかし、チュパチュパと骨にしゃぶりついた記憶が蘇ってきた。
そうそう!この味。

曲がりなりにも、皆、こうして大人になって、それぞれがそれぞれの「暮らし」をしている。
もうそれだけで素晴らしい。
兄弟姉妹が集まると、長兄はいつもそう言う。
母はあの当時のことを思い出してちょっぴり涙ぐむ。


昔話をしたりギターの弾き語りをしたり。
カツオの子らはこの夜も遅くまで飲んで唄った。。。



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