ぶらんこ
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「わたしが一番最初に『死』というのを知ったのはいつ?ペットでもなんでも」
先日、いきなりこころに訊かれた。いつだったろうか・・・すぐには返答出来ない。 彼女は、(名前を忘れていたが)十姉妹のラナ&コナかなぁ・・・と言ったが、兄貴かなぁ・・・と、わたしは思った。
危篤の知らせを受け、すぐに向かった。 病院へ着くと母をはじめ、兄弟姉妹全てが集まり、病床の兄を囲んでいた。 既に意識のない兄は、「そのとき」を待つ呼吸だった。 わたしはこころと一緒に兄の傍に立ち、こころに言った。 「○○おじちゃんはこれから天国へ行くんだよ。だからおじちゃんのためにお祈りしようね」 こころは神妙な面持ちで兄の顔を見ていた。
「わたし、泣いた?」 「泣かなかったと思う。『死ぬ』ということはまだわかってなかったと思うよ」 でも、何かしらは感じたんじゃないかな・・と今になって思う。
十姉妹のときは泣いていた。 それは、猫がラナ(もしかしたらコナン)を襲うところを目撃してしまったからだと思う。 猫は、小鳥を口にくわえたまま、どこかへ行ってしまった。 羽根が不恰好に広がったままで、とても痛々しい姿だった。 「食べられたー」「死んじゃったー」と泣いていた。わたしも一緒になって泣いた。 その後しばらくして、もう一匹も空へ飛んで行ってしまった。 何度かチャンスがあったにも関わらず、わたしは彼を捕まえることが出来なかった。 ベランダから垣根へ、垣根からまたベランダへと繰り返し、とうとう戻って来なかった。 「また死んじゃう?」と聞かれ、「わからない」と答えた。「猫にやられないように逃げてってくれてるといいね」
「金魚のことは覚えてるよ」 そうだ。金魚もいた。西友の縁日で、こころが貰ってきた13匹の金魚たち。 慌てて水槽を買いに行ったが、結構なお値段だ。 結局、お財布と相談して購入したのは小型の水槽で、電灯やらポンプやらがすべてセットになっているものだった。 なんの知識もなく、金魚たちを投入。しかし・・・13匹というのは無謀な試みだった。 金魚は毎日のように1匹、2匹と死んでいき、とうとう3匹まで減ってしまった。 でも3匹になってからは、わりと長生きしてくれた。 小さかった彼らも、いつしか10�属幣紊棒�長した。このままずっと成長するのかな・・と思うくらい逞しく感じた。 この頃には名前も付けていたのだが・・・うーん。。忘れてしまったなぁ。 最後の1匹になったとき、「13匹もいたのにーーー」とこころは泣いていた。 でも、父親と一緒に、死んだ金魚を裏返したりして、「やっぱり病気だったね、ここにブツブツが出来てるね」などと言い合っていた。 最後の金魚は、マンション横の公園の大きな木の下に、夜になってから埋めた。 水槽セットは、引越しのときに誰かに譲った。あれから魚の飼育はしていない。
「問題は〜、そのときマミィはわたしにどう説明したか、ってことなのよ」 「マミィのことだから、『死んじゃったんだよ』って言ったと思ったけどね」 どうやら、保健の授業でそういうディスカッションをしたらしい。(結構、有意義な授業をしていると思う)
こどもに、「死」をどう伝えるか。 「死」というものを、何かに置き換えてはいけない。 どんなに小さいこどもであっても、「死」を理解するのだ。という話。
例えば、親が子に、「眠っているのよ」と言ってしまったとする。 すると、こどもはいつしか、眠りに対する恐怖感を持ってしまうらしい。 また、ペットの死などを隠そうとして、親が子に「いなくなっちゃったの」と言うのも良くない。
きっと、こどもはこどもなりに『別れ』『喪失』というものを体験すべきなのだろうな。。。と思う。 『喪失体験=トラウマ』とは、限らないのだろう。
わたしは6歳の頃に父を亡くした。 母がそのときなんと言ったのかは覚えていない。 でも、父はもう目を開けることはない。というのはわかった。 そして、父のいない生活を強いられ、いつしか父の「死」というものを受け入れたのだろう。
その後も、山羊が死に、鳩が死に、チャボが死に、猫や犬も死んだ。 その度に、泣いたり恨んだりした。 親戚の伯父さん、近所のあんま(お婆さん)、兄貴。。。そして仕事を始めてから出会った多くの多くの患者さん。。。
考えてみれば、「死」はいつも身近にあったのだな・・・と思う。
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