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スナの自由気ままな画像付き日記
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2004年10月25日(月)_
思い出の道が変貌〜新潟中越地震〜


2年前に走った思い出の土地が、同じ景色と思えぬほど姿を変えた。TVや新聞、Webで写真や映像を見る度に、2年前の素晴らしい景色と比較してしまう。あのときは、まさかこんな事になるとは思いもしなかった。

23日(土曜日)に、地震で家が揺れた。そのときはPCに向かっていたのだが、けっこう揺れたので、「これから大きな地震になるのではないか」と思って少し焦った。しばらくして再び揺れて、「また地震だよ、恐いなぁ」などと思いつつ、揺れが収まるのを待った。

夜のニュースで、新潟で大きな地震が起きたと知った。神奈川であれだけ揺れたのだから、震源地では相当揺れただろうなぁと思った。実際、まだ情報が少ない状態だったけど、その少ない情報でも被害の大きさが伝わってきた。

数日のうちに、様々なメディアが先日の台風の被害の状況から地震へと感心を向け、この地震についての情報が入ってくるようになった。台風の被災地の方には申し訳ないが、これもある程度仕方がないことなのだろう。

長岡市、十日町市、小千谷市、川口町……聞いた事のある地名が続々と耳に入ってきた。2年前のロングツーリングで通った辺りで地震が起こったみたいだな、と思った。調べてみると、正にその通りで、ちょうどおれが通った道のすぐ側に、強い震源が記されていた。

ロングツーリングとは、おれが2002年の夏、北海道から神奈川までMTBにすべての荷物を積み、キャンプしながら1ヶ月かけて走りきった、大学時代最後の旅の事だ。北海道から本州にフェリーに渡ると、日本海側を南下し、新潟から内陸に入り、長野へと向かった。

新潟市から日本海側を南下、信濃川沿いに内陸に入っていき、長岡へ。国道17号で小千谷市へ。ここでは道の駅で風呂に入った。そこからさらに国道17号を進み、その日は川口町のキャンプ場に泊まった。

キャンプ場に着いたとき、すでに夕暮れで時間が遅かったため、キャンプ場の受付が終了していた。仕方がないので適当な場所にテントを張り、夕食は定番のスパゲッティを茹でて食べた。夜は雨が降ってきて、天気の事で憂鬱になりつつ眠りに入った。

翌日、夜明け前にテントを出ると、雨は止んでいた。澄んだ朝の空気が気持ちよかった。靄の中テントを畳み、いつものように午前5時台には出発した。信濃川を渡り、関越自動車道の上を渡る道も走った。

霧が残る朝の道は、夏だというのにほどよく涼しく、とても爽快だった。よく晴れてきて、気分も爽快。好調な出だしだった。しばらく県道71号を走ると、国道117号に合流。小千谷市から十日市町へと入った。

その日は、その後国道405号で長野の山岳地帯に入り、この旅で唯一死を覚悟した展開になり、その印象の方が強かった。しかし、新潟の内陸部分の思い出は、今でも強く残っている。

長岡市で走行中の上越新幹線が脱線。小千谷の原形をとどめていないほど崩壊した家屋。、川口町で斜面が崩壊して壊れた国道17号。川口町のすぐ隣、堀之内町での陥没、崩壊した関越道。次々と、思い出の道沿いに起こった、悲しい現実が伝えられてくる。

きっと、あの町並みも、のどかな道も、広い畑も、緩やかな山々の姿も、雨だったキャンプ場も、激しい通り雨に思わず雨宿りした家も、おれが覚えているすべての光景が、別の世界に変わっているのだろう。そう思うと、とても悲しくなってくる。

日本は、多くの自然災害に遭い、多くの犠牲を払ってきた。しかし、その度に人々は不屈の精神で困難を乗り越えてきた。不毛の大地に生えてきた1本の芽から草原が広がるように、再びあの地域に以前の素晴らしい景色、生活が戻ってくることを願う。

ロングツーリングルート(抜粋)と新潟中越地震
↑の画像はロングツーリングで通ったルートの抜粋と新潟中越地震の主な震源地の図。2002年8月20日は新潟市出発。この日の後半は長岡〜小千谷と国道17号を走り、川口町のキャンプ場泊。21日に十日町市を通って長野へ向かった。

ちょうど今回の地震の強い震源と走ったルートがかぶり、当然それと同じく被害が大きい。(震源地のマークは新聞の小さな地図を参考に付けたので多少ずれている可能性があります)
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