今日、うちの母といっしょに映画「パッション」を観てきた。 噂にはいろいろ聞いていた。 某Yちゃん。「最初から最後まで涙が止まらなかった・・・。」 某Cちゃん。「痛いっ痛いっ痛い」 某Sさん。「1800円出しても見る価値がある」←割引なしだとしても という意味.. などなどなど・・・。
さて、いよいよ映画が始まるという時になって 私は少しあわてた。 それは、さぁ、ジェットコースターに乗るぞ〜と 乗る気まんまんで、いざ出発の時に、おじけずくというか でも、もうベルトもしてしまって、戻れないという あの心境に似ていた。
映画が始まった。 最初はイエス様がゲッセマネの丘で 血の汗を流しながら 祈られるシーン。そこに出てくるサタンが すごくリアルで・・・。女の人で表現してるのだけれど 蛇も出てきたりして。 「本当に、人類全ての救いをおまえ一人で なし終える事なんて出来るのかい?無理だろう?」 みたいな事を、彼女がささやく。 本当にサタンというやつは、いやらしい。
でも、神様のご計画は成し遂げられる。 総督のピラトが、何度も 「彼のうちには、そのような非が認められない」とか 「鞭打ちだけで、釈放する」とか言って、何とか イエス様を助けようとするにもかかわらず 人々はイエスを十字架へと追いやる。
なんであんなにも、鞭打たれないといけなかったのか? あんなにも、残酷な刑に処せられたのか? 鞭の先には、いっぱい金具がついていて、 それがイエス様の肉体を容赦なく裂いていく。
十字架を背負って、ゴルゴダの丘へと歩くイエス様。 何度も何度も、倒れながら。 その間も、何度も何度も鞭打たれながら。
私の内側から、涙がほとばしり出た。 嗚咽がほとばしり出た。 私の内側の聖霊様が声にならないうめきで 私といっしょに泣いていた。 (映画館なので、大声で泣く訳にはいかなかったの)
イエス様は死に打ち勝たれた。 イエス様が十字架で死なれて その御業を完了なさった時、 ずっとイエス様の様子をうかがっていた サタンは、狂ったように、泣き喚いていた。 それを見て、私は(ざあぁみろ、サタンっ!)と 思った。イエス様は成し遂げられたのだ。
でも、この救いを受けとる人々はどのくらいいるのか? イエス様が全ての人の罪の為に死なれて そして、三日目によみがえってくださった事。 この事実を自分の事として受けとめる人々は? この映画を観て、帰った人々の全てが この事実とこれから、向き合ってくれたらと祈る。
この日本には(いや、世界中には) イエス様の事を知らない人々がたくさんいる。 私が伝えなくてはならないのは、 いろんな難しい事じゃない。このイエス様の 十字架・・・それだけでいいのだと 改めて思った。私はそれをどのぐらいやってるだろう? 主よ、私をあなたの霊で満たして下さい。 私も主を三度知らないと言った、ペテロのように いや、もっと弱い者だけど、でも 主の霊に満たされれば、自分の力でなく イエス様の事を伝えていける。 主よ、私を満たして下さい。
「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、 悲しみの人で病を知っていた。 人が顔をそむけるほどさげすまれ 私たちも彼を尊ばなかった。 まことに、彼は私たちの病を負い、 私たちの痛みをになった。 だが、私たちは思った。 彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 しかし、彼は、 私たちのそむきの罪のために刺し通され、 私たちの咎のために砕かれた。 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 私たちはみな、羊のようにさまよい、 おのおの、自分かってな道に向かって行った。 しかし、主は、私たちのすべての咎を 彼に負わせた。」 イザヤ53.1〜6
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、 世を愛された。それは御子を信じる者が、 ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを 持つためである」 ヨハネ3・16
これからの毎日の中で、私の内側に イエス様のパッション(受難。そして情熱)が ますます生きて働きます様に。 天国に行くその日まで、イエス様の十字架を 伝えていく事が出来ます様に。
|