2005年08月31日(水) |
小学校の時のトラウマ |
昨日のことだった。(なんだか昨日から1日遅れで日記を書いてる)
いつものお祈りのパートナーとお祈りしてる時に、 ある事を特にお祈りした。
私は人からの頼まれごとを断るのが昔から何故か苦手だった。
断ると(自分はいけない子だ)とか (神様も喜んでいないんじゃないかな。)とか考えてしまう。
でも、その根っこにあるものに気がついたのだった。
それは、私が小学校の時にさかのぼる。
私は、歌が好きで、 小学校の時から、地域の合唱団に入っていた。 その合唱団の研究生(小学校4、5年生対象だったと思う) を卒業したら、次は正式なメンバーとなり そして高校3年で卒業となる。
私はその教えていた先生から、結構期待されていて 研究生の頃から、合唱団の次の伴奏者として抜擢されていた。
でも、私は、なにが理由だったのか忘れたのだが その合唱団をやめた。
先生はすごくがっかりされたが その先生はうちの小学校の音楽の先生で 私は5年生から学校の歌唱班というのにも入っていて 先生はその歌唱班の先生でもあったので そちらでがんばるように言われた。
その歌唱班でも、私は次の伴奏者として 選ばれてしまった。
私はその頃、自分のクラスの友達が、 塾に行ってるのを見て、自分も行きたくなって 6年生から塾に行く事に決めた。 だから、歌唱班のピアノはちょっと無理かなぁと思った。
だから、またしても断ってしまった(−。−)
そしたら、今までものすごく私の事をかわいがっていたのに 先生は手のひらを返すように私を迫害?し始めた。 せっかく伴奏者として選んであげたのに、断るか?という感じだった。
みんなの前で、立たされて、ばかにされたり、 塾に行くなんて、なんで?と言われたり、 今までかわいがられていたのとの、そのギャップが激しすぎて 私はすごく心が傷ついた。
伴奏は断っても、歌は続けたかったのだが あまりにも、歌唱班にいるのがつらくなって やめてしまった。
同じクラスの歌唱班の友達にも、 なっちゃんが悪いと、責められた(−。−) 他のクラスの仲の良かった友達からも。
その歌唱班は、結構実力もあり、 NHKの合唱コンクール全国大会にもよく出たりしていた。 そして私がやめた年も、歌唱班は予選を勝ち抜いて、 全国大会へ出場し、テレビにも出た。 私が断ったので他のクラスの伴奏者が選ばれ、 私は、「なんで断ったん。あほやなぁ」と 友達から言われた。 (今考えたら、何で断ったんだろう?あほやなぁと自分でも思う。)
私は、それまでは、断る事に別に何も罪責感を 持っていなかったような気がする。 だから、断る事も出来たんだと思う。 でも、それ以来、断る事が怖くなってしまっていた。 またいじめられるんじゃないか。 好きになってもらえないんじゃないか。 そうした恐れが知らず知らずのうちに 私の中に蓄積されてしまった。
小学校はそれなりに楽しかったけれど、 その出来事は私の中に暗い影を落とした。
ピアノなんか習わなかったら、 こんなにつらい思いをせずにすんだのにとも思った。
その事を何故か、ここ最近、急に思い出していた。 そして、昨日のお祈りの時に、 その事で出来てしまった心の傷が癒されるように祈った。 そして、その先生を赦すお祈りをした。 そして、その事が原因で、断る事が怖くなってしまっていた あらゆる束縛をイエス様の御名によって断ち切った。 忍び寄ってくる罪責感も、サタンの嘘もすべて。
そしたら、すごくすっきりした。 こんなに重要な事を何故、今までほってたんだろうと思った。 その先生の事で祈ってもらった事が、一度あったような気がしたが でも、私の罪責感とかかわりがある事に気がついたのは 本当に最近のことだった。なんで気がつかなかったのか不思議。 昨日、お祈りが出来て本当に良かった。 イエス様にある本当の自由に、また一歩近づけた、そんな気がした。
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