遠くにみえるあの花火に
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2005年02月13日(日) 小麦粉三連休 3日目

日曜日。豆乳スープの朝食。
一日中家から一歩も出ずに過ごす。
お昼は明太子スパゲティーと野菜スープ。
(この間のおもてなしメニューと似通ってます)


そうして、午後からは小麦粉三連休のしめくくりである「パン作り」。

時間をかけてパン生地をこね、こたつの中で発酵させる。
1時間くらい発酵させている間に、台所を片付けたり、
型の準備をしたり、洗濯物をたたんだりする。
ついでに夫がマッサージをして欲しいというので、
マッサージをしてあげる。

ふっくらしたら、ガス抜きをして6等分し、型にいれていく。
それからまた、30分くらい二次発酵させる。
二次発酵の間にオーブンを180度にあたため、お風呂を洗ってお湯を溜める。

オーブンの中でパンが焼けていくあいだ、私はお風呂に入る。
夫はマッサージが気持ちよかったのか、そのまま布団でぐーぐー眠っていた。

お風呂から上って、夫が目を覚ました頃、パンはこうばしく焼きあがった。
ふわふわのミルクパン。
ちょっと甘い、やさしい味のパンだ。
一日家にいてパンを焼くなんて、幸せだなあ・・・。
なんだか優雅。
夕食は焼きたてのパンとサラダとチキンカツを食べる。
夕方にお風呂に入ってしまったので、
夕食後はまったり。




江國さんの「赤い長靴」を読んでいて、はっとする文に出会う。
それはこういうところ

結局のところ言語は人格なのだし、人格にない言葉を無理に発音したところで、それは音にすぎない。

(「赤い長靴」P173より)


結局のところ言語は人格なのだ。
言語は人格。
人格にない言葉・・・。

人格にない言葉を無理に発音しても、それは音にすぎない・・・。



人生の中に思い当たるふしのある言葉だなぁと思う。
私という人格の中に、いったいどれだけの言葉があるだろうか。
昔、江國さんが講演会で「豊かさ」について語っていたけれど、
言葉の豊かさというのは、そのままその人の人格の豊かさにも
繋がる・・・とかそういったことだったように思う。
もっと違う言い方だったようにも思うけど、
文化、とは、言葉が豊かであるということは、感情が、人生が、豊かであるということは・・・

確かそんな話題だった。
逆に、言葉が貧しい、貧困だ、ということについても語れていた。

その時の話題とまざりあって、
また、私自身の生活の中の出来事とまざりあって、
なんだか奥深い一文だ。

何気ない言葉の、
「ありがとう」
「いってきます」
「おはよう」
「いただきます」
「ごちそうさま」

そういうことの大切さ。

結局のところ、言語は人格なのだ・・・。




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