遠くにみえるあの花火に
DiaryINDEXpastwill


2005年04月21日(木) ちょっとしたつぶやきとか。(ぶつぶつ)

本のまとめ買いをしました。
数えてみると8冊。

ちょっと魔が差して、ばかばかと買ってしまいました。
うれしい重みを感じながら帰宅。
うはうはと、どれから読もうかなーなんて考えています。

そのうちの1冊は漫画で、「ダーリンは外国人」の姉妹本、
「ダーリンの頭ン中」です。





おもしろいのは、どの本を読んでいても、
一文くらいは「はっ」として、書き記したくなる文があることです。


そういう文章のことはまた、近いうちに触れられたらと思います。







毎日なんとなく充実していて、
そして充実しているとなぜか日記へと気持ちが向かない。
それはどこかで日記が、私にとって自分の内側の空洞を埋めるためのものであるからかもしれないなぁと思う。
ぽっかり空いた穴、とかいうのではなくて、
もっと自分を見つめる、自分と向き合う、自分をよしよしする、
自分を観察する、自分を整理する、自分を認める、
自分を確認する、行為だからかなぁと思う。

充実した日常では、こまごまと動いたりしゃべったり笑ったりしているから、
充足感があって、満ち足りていて、確認しなくてもいいと思える。

日記を書こうと思ったり(つまりは文章を綴ろうと思ったり)ということは、
自分自身に話し掛ける行為なんだから、やっぱり内に向かっていく行為だと思う。
いいか悪いかは別にして。


それでいて、ひとさまの書く日記はいつも私に
知識や元気や癒しや、なんとも言えないふっと和らいだ気持ちを与えてくれる。
私の内に向いた日記も、誰かをふっとさせていればと思う。
顔も名前も知らない、でもよく知っている気がする誰かのために。







なんだか眠くて、頭がぼおっとしています。

学校も、仕事場も、家も、そこにいる自分が納得して
丁寧に心をくだいていることが、大切なのだなぁと思う。

でも、あちらでもこちらでも心を丁寧に、というのは難しいので、
心にも波があって、一定ではいられないので、
軌道修正しながら少しずつでいいよなぁと思う。





大人になって、時間が猛スピードで流れていくようになって、
しょうがないので長いスパンで物事を考えるようになりました。
目標も、1年とかじゃなく、5年とか10年とか。

若いうちは、1年でも長いように感じてしまうけれど、
本当はそうではないのだから、焦らずに長い目で自分をみたらいいと思う。





何を言っているのか、というと、
いろんな人の日記を読みながら、勝手にイメージを膨らませて、
この人にこんなことを言ってあげたいなぁと、思ったことを書いています。

日記って読むだけで返事を書くわけじゃないから、
でも読みながら、こちら側であれこれ思ってしまうから。



いつか、声をかけたいなぁとか。



そんな思いのたけを書いてみました。
なんとなく、語り掛けたい心境でした。



豆ごはん |MAIL

My追加
素材提供