遠くにみえるあの花火に
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2005年08月17日(水) ああ勘違い/「麦ふみクーツェ」のふしぎなかなしみ

8月16日分更新しました。
よければどうぞ。





よくよく私の記憶ってやつはいいかげんなもので。
うろ覚えにもほどがある・・・と思う。

東京で食べたチョコレートは、
PIERRE MARUCOLINI Chocolate Shop GINZA」であって、
ユウさんやのろのろさんが言っていた「100% chocolate cafe」ではなかった。
・・・ことに今日気がつきました。
「チョコレートカフェ」を「チョコレートショップ」と勘違いし、
しかもそれしか覚えていなかったために、
ひどく遠い遠い対岸にたどりついてしまったようです。







さて。
気をとりなおして・・・。
今日は気づいたことがもうひとつある。

麦ふみクーツェ」を読みながら、何かに似ている、
なんだか知ってる、この感じ。と思っていて、
それが何か、ようやく思い当たった。

それはジョン・アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」。

アーヴィングの他の作品は読んだことがないし、
いしいしんじさんの作品も他には読んでいないから、
二人の作風が似てるとかなんとか、
そういうことが言いたいわけじゃない。
もちろんストーリーだって全然違う。

でも「なんだか知ってる、この感じ」の先に、「ホテル・ニューハンプシャー」があった。

いったい何が「麦ふみクーツェ」と「ホテル・ニューハンプシャー」をつなげるんだろう?
何かと何かが似てるって思うときに、たいていの場合がそうであるように
考えてはみたけれど明確な理由はわからない。

ただ、その物語から放たれる空気に似たものを感じるだけ。
どちらのお話も、ふわふわとした異世界に足を踏み入れたような違和感があって、
その空気になじむのに少し時間がかかる。

でもその少しの時間をすりぬけたあと、
驚くほどあっというまに物語の空気に溶け込んでいって、
その世界の空気をずっと吸っていたいと思う。

ずっとずっとその世界のおかしみやかなしみを感じとっていたいと思う。
一度吸ってしまったら中毒になってしまうような空気。
ちょっと不思議な出来事もおかしな登場人物も当たり前のように自然になじんでいくその空気。

どこかの誰かがいしいしんじさんの作品を宮沢賢治に近いと言っていた。
たぶんそちらの方が正しい意見だろうなと思う。
でも私は「セロ弾きのゴーシュ」も「銀河鉄道の夜」もまともに読んだことがない。
だからこそ思う。
「麦ふみクーツェ」のそこはかとない哀しみは、
「ホテル・ニューハンプシャー」のどうしようもない哀しみを思い出させるのだと。



とはいえ、
それはあくまでも私の主観だ。
しかも、まだ半分くらいしか読めていないから、
これから先、どんな風に物語がしめくくられるのかも分からない。
哀しみなんて吹き飛ばすハッピーエンドかもしれないし、
ずっとずっと恒久的に、この哀しみの空気が続くのかもしれない。

だから今この時点であれこれいうのは間違ってるんだろう。


今日はこれから読書に戻ろうと思う。

「麦ふみクーツェ」を読みすすめて、また何か感じることがあれば書くことにしよう。
ひとまず今日は、このへんで。


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