鮎見時子の日記
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2005年09月28日(水) |
せっせと書いてる自己開示長文の一部公開 |
まだまだ書き足し推敲あるんだけど とりあえず誰かに読んでもらいたくて公開 原稿用紙10枚くらい書き出しの冒頭のみの未完
殴られない幸せ
「おまえはなんでもやりたいことやって生きている。」 「したいことはなんでもさせた。」 「ママなんてちょっとでも逆らえば、父親に殴られた。 殴られたことないおまえは幸せ。」 私の母親の口癖である。 物心ついたころからいったい何十回聞いたかわからない。 聞かされる子どもの気持ちを想像する能力が欠落し、 母親には言葉とおり以上も以下もない素直な感想。 今は40過ぎの中年の私にも、もちろん、 以上も以下もない言葉でしかない。でも、 お母さんがかつて子どもだった 私について記憶してそう語る印象と私自身が子どもだったあの頃、 祖父母、母、父4人の大人のそれぞれの勝手、 大人同士は力関係のバランスとって 成り立っていたのだと今はわかるけれど、 当時そこに幼い子どもだった私が存在していい隙間なんかなかった。 私は過去をそう分析して感じてる。 全く違う認識。それはでも、 子どものときのことなど過去のこと。 やるせない気持ち全くないと言い切ることはできないにしても、 もう今更どうでもいいことなのだとつい最近まで思っていた。 大人4人の過保護過干渉で 自立能力低い中年になってしまったのは本当だと思うけど、 だからって今更親を非難する気もないし、 それ以上の愛情は注いでもらったし、 思春期以降の子どもにとっては 精神的にも金銭的にもたからない十分いい親。それでOK。 そう思っていた。ところが、 実際、医学的な定義も今現在存在していない、 根拠はといわれたら 私自身の他人に見えない感覚のみを信じる直感だけが頼りの話に 過ぎないけれど、今更ですまない。子どもの頃、過去が 現在の私をいまだに支配をしている。 意識を記憶が束縛している。 その現実を直視し、率直な自己開示してみなければ、 この先私はすでにパートナーがいて かわいい子どもがいて大人の責任果たし、 日々のささやかな幸せ大事に生きたい。 頭、意識はそう願うのに 魂、無意識の混濁しきった闇がそれを否定している。 そう考えだすきっかけは、 トリイヘイデンのフィクション「霧の中の子」のなかで、 後に解離性同一障害と診断される子どもに向かってむかって トリイが感情とはなにか、いろんな気持ち、 つらいどうしていいかわからなかった気持ちを 困った場所にしまいこんでしまって そのままにしておいては あなた自身を私は助けたいと思うけれど できないのだと説明するシーンが生々しく、 私に向かっていわれたような気がしたことで 私自身の子どものときの記憶の起草に繋がった。 実際にはその以前、最初に、乖離の感情を思い出したのは、 10年ちかく前、 子ども虐待を学ぶ講座で擬似セラピー体験を受けたとき、 当時の毎回のばらばらなエピソードは まったく覚えてないけど、ああまただ、と思う瞬間頭の中が、 空白で自分が消えるというか、みない、聞かない そういうことを繰り返していた生々しい感覚だけ甦った。 そしてでも、今はそのころの自分じゃない。 世の中は安全、私の力も関与できるし自分で先が選択もできる世界。 それが納得でき、それまでなんて、常に気持ちは決まっているのになぜか、物が決められない、選べない。 かつての幻の過干渉に支配されて常にパニック。 30になって 初めてなぜ自分の言動がコントロールできなかったのか悟った。 それに、十代半ば以降 親の視界以外の世界が増えたころからは止まったけれど、 それまでいつも私の頭の中は知らない他人が いつも会議やっていて私は傍観、 いつか声に人格がでて私は乗っ取られるのかもしれない。そう感じていた。 そんなになるまでの 過干渉は十分虐待だろうとおもうけれど、 救ってほしかった当時、 頭の中で人の声がするなんて誰かに話していても 光があったように思えないし、 今それを蒸し返しても蒸し返すだけなら何も意味はない。 なにもこれからにプラスはない。 だけどそれから10年たって 霧の中の子でさらにリアルに起草したそれによって、 30歳での起草は乖離を外側からみていただけ、 感情は伴ってないイメージだけだったのだと知った。 実際にはあれも感情なの?と思うくらい、思い出すだけで、後頭部の首に近い部分ががんがんと痛い。 感情として言葉で整理するのは難しすぎる。 あえていうなら怒りよりただのくるしい混乱。 でも、あんなにも追い詰められる感情を頻繁に子どもの脳で毎度まじめに処理したら 脳はオーバーヒートして 20歳前に精神科病棟生活者だったんじゃないかとまじめに思う。 乖離と表現していいのかわからないけど 乖離で脳を守って生き延びた子どもが今の私。 ひどい虐待から自分を守る手段としての 乖離これは生き延びるには役にたつけれど 大人になってからは困った間違った反応習慣として自分を苦しめている。 私自身のいまのありのままをありのまま表現しても、 今現在、 乖離は記憶を処理しきれないから閉じ込める方法という説明のみで、 そうじゃなくてどうしていかわからない、 どうにもできないから歌でも歌って聞かない、見ない、 現実を記憶から飛ばしてかき消した。 無録画、無録音ノイズが大量に保管になっていて 今もその残骸ノイズで頻繁に思考がサーバダウンみたいに止まる。 頻繁にフリーズするPCみたいなのかもしれない。 しかももっと困るのは 大人の今正当な義務や責任のプレッシャーやストレスからも 現実逃避して浪費癖で借金までしている 自分の原型が子どものときの乖離のパターンを持ち越してきている、 今更やっとわかった。 けれど、単純に外側、何も考えないのは実際楽だと自分でも思う恣意な自己意思選択であるのは事実だけど そこのところだけ切り取って、 ただの甘え甘え言い訳としてのみ非難される。 非難とまで行かなくても、 実際医療の一部は、依存症は本当にどうしようもなくなって底をついて 本人の意思で変わろうと思わない限り立ち直らないと、 医療支援の限界を当然のように表現している。 依存症当事者の感覚としては、 頑張らないととだけ思っても 実際生きることを楽しいとか明日の希望とか感じる能力が退化し (脳ハードの感情の理解って多分ほんとに微量な物質の差であるわけで 虐待などでの強烈な未消化不良の感情は過剰物質流通という意味で 微量な差の認知をハード難しくしてしまうことは物理ハード的には ありえる話だと思う)
正直言えば鬱のピークがくれば、 別に、今日寝て明日目が覚めなくてもそれが一番楽かもとさえ思う。 そもそも今こうしていることもなんだか 他人事。ロボットの操作を仕方なくやってるだけって思う。 とにかくなにもかも面倒でわずらわしい。 人間なんて食べてうんこ製造それだけが生きること?と思う。むなしいだけでなにもない。 確かにこれが私の本音でもある。 でも心のどこかからそれはおかしいぞという声もする。 娘はかわいいし、成長楽しみだし 夫も結婚してよかったと思うほどじゃない後悔の比率の方が 相当高い相手だけど、彼なりの誠実さで大事にしてくれる。 私の母もそう。 生きることが、わずらわしいなんて何かおかしい。 やっぱりまともに生きたい。 私なりに、今後もまともに生きるには、 今の自分もっと客観視した肯定や、そこからできることできないこと他人と比べないでひとつずつかえることが大事。 おそらく非難のほうが大きいだろうけど、 私ひとりがこんなじゃない。 子どものときの過剰ストレスで脳ハードがうまく昨日しない。 余計な意味不明のソフトウエア詰め込みすぎて 頻繁にフリーズする感覚実感としてシェアできる人もいるんじゃないか。 同じ感覚シェアできる人から生きるテクニックも学びたい。 この話、私が5年早く生まれても、情報がなく、 ただの甘えた怠け者として何か違うとおもうけれど、 言語化することはできなかったろうし、 5年あとに生まれても、今度は 時代のある意味では甘やかしにのまれて、 自分は悪くないそうおもうだけで 生きる責任考えなかったろうし、 うまい説明かどうかわからないけど、 親の愛情も物質の豊かさがバックにあったら、 うちの親たちのように程よく品良くお金や物を扱えない親から 愛情は感じるの難しかったんじゃないかと思う。 つましい欲のない暮らしそれが当たり前の親、間違ってないと思うし、 今もできる範囲よくしてくれるけれど、 子どもにとって、善良な行動に言葉が伴わない。小学生になっての 私からの母の日のプレゼントに 「こんなお金かけてもったいない」であったり、 風邪で寝込んでる高校生の私に向かって 「病院代もったいない」であったり、 思春期なんて祖父母が、お金ほしさで不良になったら困る。 で、「ほんとにほしがるものなんでも与えた。」と、 いまも母は信じ込んでる。 でも私側からは、ほしいも何も 私が何がほしいかじゃなく 与えたいものという基準だったわけで、 何が必要でないがいらなくてといったものを選ぶ選択行為の 自主決定権は思春期以降親の視線の外範囲が増えて初めて奪還された。 いま、40以下30代そういう子増えてるんじゃないかと思う。 私の世代だとまだ物質信仰カルチャーはないし 親の手間隙で子ども育てるしかなかったからそれを嫌がらないことで 愛情示せる機会多かったんで 親をただ憎む気にもなれないしけど時代が少し違ったら、 親をもっと軽蔑してたのかもしれない。
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