鮎見時子の日記
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2005年11月08日(火) |
DVはなぜパートナー虐待と和訳にならなかったんだろう |
DVについてはなるべく否当事者の自覚をして 喋らないことにした 私の話って机上的すぎ 当事者に共感されない。
でも書きたい言いたいは止まらない。 このコラムも最初一番アクセスのない日記サイトに書いて それで終わるつもりだったけど せっかくだからこっちにもコピー。 若干さらに書き加えてます。
記事のタイトルの疑問は どうしておもうかって パートナー同士のしかも犯罪であるってそこの優先順位があがって 巻き込まれる子どもたちが たとえばだけど、 加害者だろうと被害者だろうとどちらかあるいは片方の とばっちりDVの延長で虐待を受けている。
この子たちに大人の事情なんかしったことかと 支援する形が見えてこない。
それにDV加害者は病理抱えてる そんなのいいわけだというけど でも病理を理解しないでおいつめて ほらあんたはって・・ことが 私の良心に合致しない。 ただこれは加害者の更正の責任を被害者や支援者が背負う義務なんかないそんなことはあたりまえという前提での話。
私は思考の単位が人と違って過去1万年未来300年 ・・・ってこれいうとあきれられるか 馬鹿にされてると思う人もいるのは承知だけど でもほか説明出来ないから・・・
で、そう思うと
**** それにDV加害者は病理抱えてる そんなのいいわけだというけど でも病理を理解しないでおいつめて ほらあんたはって・・ことが 私の良心に合致しない。 ただこれは加害者の更正の責任を被害者や支援者が背負う義務なんかないそんなことはあたりまえという前提での話。 *****
この部分の理解のイメージがわかってもらえるまで 10年20年単位かもしれない
そもそもDVの被害者のかつて 今日依存と呼ばれた被害者は 脳でいえば 騒ぎを好む脳、いつまでも嫌なことが頭からはまれない脳
痛い表現だけど 自分の問題だけに絞り込んでいくには案外正解なきがするし
繰り返してしまう暴力も 脳では3パターン
うっかりやてしまう。
ためて爆発
どうしてもやらなければとかりたてられる。
あるって。これが多分暴力とはなにかって話の 最先端だと思うけど だからどうした? おしまいというかいかなる理由も暴力やっていい理由なんかない。
言葉としての正義はかっこいいけど
・・アルコール依存者に向かって、意思の弱いやつというのとかわりない 実際のところ暴力止める制御戒めには役立たず。
ついでに言えば よくDVは被害者にとって加害者が暴力やめればOKっていうけど
全然違うとおもう。 二次被害後遺症はやられた期間の長さや質とは また別な問題だし あるいは暴力止めた相手とやり直すやり直さないの問題 今の支援はその決定を相手を尊重できて それで加害者の回復というとおもうけど そんな割り切りで人の良心の秤の振り子はそこがほんとに中立か?
単純じゃないことばかり・・・
そして加害者の話に戻るけど
「君を殴ると僕の心も痛い」
マインドコントロールピークの 被害者がきくと
申し訳ない私が悪いんだと思うだろうけど それ以外の人は なんだそれきもい なにふざけたこと言ってるんだ・・
だけど でも加害者はその言葉それがそのまんま 彼(彼女)の感情で本当にそう感じるんだと思う。
でもだからそれがどうしたの? どうしたいの?
って向こう側は加害者本人たちの自助でしか見えてこない世界 なんだろうなと思います。
幸い個人クリニックは、敷居が行きやすくなってきたし 薬も、この1,2年種類も格段増えたし 気分の安定に向く薬いろいろあるし すくなくても昔みたいにいきなり薬物依存になるかもしれない 薬だしたりしないし 薬の名前は教えてくれるし (精神科ってかつては教えると勝手に思い込みで止めたり増やしたりするからと 教えなかった時代もあった)
実際、いま心療内科いってある程度長期飲んでみないと 効果わからないといわれた薬3ヶ月飲んで欝で投げやり度上がって いらないと止めました。 で、いま前の薬だけ飲んでそのほうが私にはいいんだけど どうも聞いてる時間が短く飲み忘れおおくたくさんあまってるから 1日3回を4回飲んでる。 あんまりかってにやったらいけないからもちろん。
今言ってるクリニック老人医師で院内処方なんで薬代安いのも魅力。
カウンセリングは私アスペルガーの自覚あって アスペルガーの気分共有してくれるカウンセラーなんて 期待ないから聞く薬だしてくれて 余計な気に障ること言わないドクターならOKって 開き直りですね。
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