鮎見時子の日記
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2005年12月16日(金) かつて被虐待児の中年以降のサバイバル

私の母は親がDV夫婦、父の父はアル中
母、拡大解釈AC&父、本家ACの子がわたし
でACの概念ACC、
(ほんとはアルファベット4字だったような?)
孫世代の問題も存在します。

ちなみに、母は昔はみんなそんなだった
位にしか考えないし
まじめに律儀に生き通す
人を恨むなんてとんでもない。で人生終わるでしょう。

言葉の理想、文章道徳用語概念は
人徳、
父方の祖父母は私が生まれたときすでに他界
私の妊娠前後に父方祖父の最期を母が見たのは聞いてる以外
全くわからないけど

母方祖父母&私の両親
人徳はあった、(母以外は他界、母のみただしくはある)
でも
子どもにとって良い養育者かという条件は
それじゃない。

で、人徳、誠実正直。。
だからなんだって?と混乱しかもたらさない

得体の知れないものであり続け
でも、30くらいまではそれでもありだけど
30以降こだわってるけど中高年の鬱々。。。
人として義務、責任果たすあたりまえのことが
どっとやってくる時期以降の躓き。
10代20代で暴れてる人もいるけど20までは
暴れたことで何かつかめたらOK、
再生可能。でも30以降は同じじゃいられない。

人徳、誠実、正直って人生建設的に築くのに
結構大事なキーワードだし。。

何か違う変りたいどうやって?
そもそもどうしたい?
ずっと堂々巡りしてましたが

実際言うは簡単、実行は困難だけど

被虐待、親を恨むのはOK
でもそこで止まって以降のことは私の問題、罪
クリスチャンじゃないけど聖書読んでいて不意に思った。
でも、
じゃあどこへ向かう?どうやればここから抜けられる?

ここがわからなくて遭難してるぞ
>私

と某所で吐き出したら(自分のサイトのどこか)
そしたら
昨日みたDVDでアニメ「プラネテス」
宇宙船での遭難訓練テストシーンで遭難で
遭難中のサバイバルは、
じっとしてることむやみに動かない、でも
冷静に今できこと考える平常心考えること
パニック、舞い上がって反射で行動が一番危険

遭難中の行動の基本簡単だけどできないこと
ビバークの生存も生き残ったら英雄ヒーロー、ヒロイン
(英雄ってジェンダー的にユニセックスじゃないなと
今関係ないけど思った。ユニセックスな造語ほしい)

そうか今、私遭難してる。

現実を認めるのにいいイメージにたどり着いた。
遭難時の基本コード想定で
行動の優先順位つける。

多分誰もきちんと説明してくれてなかったけど
虐待、暴力被害者のサバイバルの基本って

サバイバーとかいう言葉の本来の意味での
自分が今、遭難してるって認識をきちんとする。
あわてない、でもそれは消極的な意味あいではNG
パニック時に平常心、正しい直感を呼ぶ落ち着き
あとは天にまかせる度胸

・・・ってかなり実は難易度高い心を維持する。
だから、できるか?
だけどそれが一番実は大事なことなのかも。

***
ここから話は少し変ります
某サイトどっちが良い悪いじゃない
純粋な意味で境界引くべきらしいと思って以来
行ってないとこで
サイバーという言葉の問題、

かつての虐待被害者は誰でも何かは誰かに加害者者をやるけど
でもそれが暴力特に、性暴力加害者をやったら
サイバーを自分に使うことが難しくなる。

そういうのも含んで、今の支援は
被害者の自分加害者の自分分けるといいと薦める
でもそれ何度もきいてるとふいに
私のバイブル穂積純さんの「甦る魂」
どこかでわけられるか、分けていいのか
それは絶対NO

サイバー名乗っていいか
本当はいいと思うけど
NOって思う被害者とすみわけしたほうがいいから
何か自分たちで作り出せばいい。

加害者が自分の被害を考えるのにサイバーを使うのを
それも境界引いてありと思うまで
被害者が回復まってたら
自分の問題集中できないだろうし。

そうしてしまったのは
加害者の自業自得。
でも、これ書くと顰蹙買い可能性あるけど
加害者支援して暴力止めてもらわないと
被害者いなくならない。

ところが支援は
暴力振るう万人みんな理由が違う
理由にあうやめ方個別対応じゃなきゃ
意味がないけど
今まで暴力は、被害者の支援の視点しかなく

「暴力振るうのは理由は関係ない」
これがど〜んと常識で・・

振るわれた被害者には理由なんか意味なし。
加害者の振るう言い訳も意味なし
でもやめようって思う場合だけは大事。
どんなときに暴力になるのかの前後の分析で
やっちゃいそうなときをまず察知して
回避しなくちゃいけないし

あるいは、
一般常識、
たとえば、おいてあった場所から勝手に
ものを動かす。
そりゃ誰だっていらつくけど
それで暴力って完璧異常。精神科いって
落ち着く薬のんだら?
だし、

意思で暴力止めようなんて漠然大雑把で
それって
企画倒れ確実な行動決定、計画書。
中身何にもないただの抽象表現。


もっと細部を延々苦しんで煮詰めないと
暴力止める行動計画書の形にならないかと。

そして被害者向けの支援。
あなたは悪くない責任はないは初期の
支援の限定で
そのあとについては
「あれには私に責任はなかった」であって
今現在についてはだから誰に何をいてもやってもいいでは
ありません。

ところが、被害者はなにかは誰かに加害者やっちゃうわけで
でもあなたは悪くないを拡大解釈したままだと
被害者から加害者へスライドしてても
気がつけない
あつかましい迷惑な人のまま終わるかも。
それはその人の罪なのでよく考えましょう
>そして私もかんがえなくちゃ。

***
まぐまぐbooksアワードにエントリーしてます。
虐待についてのコラムの方が
インパクトあるのは気がついてますが
虐待、暴力の常識概念に逆らいすぎてて
目だって誤解されるの嫌なので
メルマガも、日記もあくまで基本ベースは
発達障碍の鬱々です

*でもこれもまた常識概念ではシェアできないことの
シェアのきっかけ作りたいというやっぱりマイナーですけどね(汗)

http://books.mag2.com/dynamic/m/0000156155/index.html








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