鮎見時子の日記
DiaryINDEXpastwill


2005年12月24日(土) かつて被虐待児の中年以降のサバイバル8

今日のコラムは、コミュニテイを立ち上げた管理人以外参加者が1月以内に
入会なければ削除になってしまうシステムの非公開セキュリティ安全な
ところに
とりあえず、
暴力、虐待言いたいこといってみよう、
ただし、被虐待の気持ちのシェアは
自分の体験を細分化して聞きたくないこと聞かない権利
それがなければ、自分の安全が保障されてないから
という一般の流れに逆らって
あえて被虐待された気持ちはわかるけど
(これ実際のとこ、自分が虐待体験あるなしと関係ない)
細かい本音は違うのは当たり前
影響受けてフラバで連想ゲームはOKだけど
相手にそんな話は聞きたくなかったはNG

かなり趣旨のあいまいそれで何をシェアしたい?
・・かなり基本的に怖いもの見たさ、
自分が知らなかったなにかに出会う目的・・
ってコミュニテイ作ってみて5日目
相変わらず管理人(私だけ)ぼそぼそ書き込んでいて
この調子で1月終了かもしれないけど
私には意義あったからその時点で
また同じ趣旨のコミュニテイ作って入会者お仲間探し継続?
を繰り返して飽きた時点で終了でもいいけど
でも誰も参加者いないのもさびしく。。。
で、しつこくPRしてますが
あえてサイト名伏せてますが紹介者からしか入れないコミュニテイサイト
(話の流れに関係ないけどカタカナ単語耳で聞いて覚えられないで
たとえば「コミュニテイ」いまだきちんと音どおり打てなく、ワープロ打っていて立ち止まる、「故みゅ未定」とかなんだそれ?が必ずでてくる
ワープロ賢いから、打ってきちんと変換されないカタカナ単語は音が
わかってないでたらめ適当に覚えてるぞ>私と思う、繰り返し使ってる間は打ててるけど頻繁に使わなくなって忘れた頃又打とうとしたら
繰り返してる)
ここから興味もった方是非
参加してね。
まず、メールください。。そのサイト入会紹介をします。
ただし、私の判断でシェアには

被虐待体験に気がついて年月かけて、
客観性がほしくなってないと痛いだけで双方つらいと思い、

*まだまだ細分化のシェアの方が必要そうな人に感じる方、

*虐待被害者はいつの間にか加害者になってしまうこともあって
その回復を目指す方は歓迎だけど
謝罪の代理がほしいだけとかなり紙一重なので

そのあたりは私の独断で
お断りさせていただく場合あります。ほかはなんでもありを目指してます。

:::

そんな感じで
ずっとそこに書き込んでみたこと
(コミュニテイの入会は管理者の承認必要、掲示板そのものは公開とそれも完全非公開両方作った)を元に
宣伝も兼ねコピーまたは編集文章が
今日のコラムです

**

某サイトで
泥酔した親が
過去の虐待泣いて誤り続けるって書き込みに

そんなの酔っ払いの自己憐憫で
親が相手だと逃げ場所なくて大変ねって
(かなり話要約)
レスしたら
そのあと、そうだそれは酔っ払いのたわごとで反省じゃないって
書き込みいくつかついてました。

そうやって被害者が再虐待されていても
逃げ場所がない
相手がパートナーや親だと特に、

まず、それも虐待って言われないし
逃げること薦める人だっていなく
あんなに反省してるんだからと説得されたりして。

反省だけなら猿でもできる。

***

これは、日記もメルマガも昨日付けに
虐待は?以前に子どもの発達理解&親のお仕事マニュアルの理解
そっちが先じゃない?

と思う話の一部を書いたけど

そういえば、育児書に頼ってノイローゼになる親とか
だめ親として非難する一般論

発想転換、考えたら
ノイローゼになるような育児書書いた人の責任は?

書いてる人って大半なにかの専門職アドバイスのプロ、
それで収入得てるわけで
結果の出せなかったアドバイスに
問題ある。

それ全部親のせいはないよな〜

結構育児書斜め読みしたけど
理想語ってるだけでしょうって感じ

そもそも、いまだに
1970年代の小児精神科医の草分け
平井義信が書いた
当時の発想だから
かなり親はこうあるべきお説教ぽく親になって読むには
やさしくないのがかなり難だけど
それ以外で思春期までの一貫した形で健全な子どもの成長
1次、2次反抗期も含んで説明のある本はない。

(私がしらないだけかもあったら情報ください)
読んだ当時の立場が子どもで、
反抗期の保障握りつぶされた子どもの立ち直りに
寄り添うプロセスとか読んで

ああ、そうか今の自分(当時20代前半)反抗期が
遅れただけって思えばあり。。って
思うようになった。

虐待って何?よりそっちが先のような。

さらに。うちの娘が
4歳で私自身が発達障碍、障碍の枠ボーダーは偏屈と紙一重
個性を生かす場が雑草のようにどこでも誰とでもじゃない苦労してきた
で、かなり過剰に娘の心配をしてる
でも
「子どもみんなそう、」
「よその子と比べてどうするの」

子どもの成長、可能性は無限で未定予測範囲の前提で、
想像ラインは、
娘は多分、仮にはっきり発達障碍の診断下るにしても
小学校中学年以降だと思うし、

入らないボーダーでたくましく
親なんかよりよほどうまい世渡りしていくかもしれない

いい意味で個性のある味のある大人になるただのプロセスが
今かもしれないし

どこに存在しててもいい
ただ、
親の親ばかとして
自分の娘の可能性範囲から障碍を排除して
「ああじゃなくてよかった」

もちろん親だからその気持ちもありだし、

だけど障碍持つ子の親になって
娘に投げつけられて気分の悪いこと
簡単に口から出ない人になりたい。

最低ラインもし自分が(子どもが)障碍持ってたら

実際に障碍持つ気持ちは別。

この区別できないと
常に対等じゃない扱い人にしてしまいそう。















鮎見時子 |MAIL

My追加