鮎見時子の日記
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2006年01月01日(日) |
言葉による思考は立体構造 |
あけましておめでとうございます。 元旦付けの日記なのでご挨拶してますが 今日すでに31日、29とほかのサイトに書き込んだものを 推敲して長文、UPしていて、 (そのためメルマガは配信時間を遅らせ1日深夜の配信 この号の配信を二日の夜中配信と時間ずらして配信してます) 元旦も普通の1日です。
言葉による思考は 時間の経過でつなぐものと情で横につなげるもの がある。
「脳はなぜ「心」を作ったのか」 読んでやっとわかった感じがして でもなんだそれ?といわれて説明するには、 整理しきれてなく、多分何年もイメージを 表現するのに適切表現をさがして この話繰り返してるかと思います。
遅刻の場面で、 「何時だとおもってる」 「遅刻してごめんなさい」
言葉のみで言語が成り立つならば、 絶対おかしい 「何時だと思ってる」 「何時何分です」 が正解
でも実際には 「何時だとおもってる」 「遅刻してごめんなさい」 が通用し 「何時何分」が答えではない
どうしてそうなるのか
思考が立体で言葉をつなげてるから。
横へつなげることをとりあえず情でつなぐと表現し 時間に沿って縦へつなげることを言語でつなぐと表現し
そんな感じで思考は立体物3次元構造だから。
「何時だと思ってる」に 「遅刻してごめんなさい」 これは横つながりではあり。
私は横つながりの言語回路が麻痺して オートで 何時何分って言葉が口から出る感じ 相手が言葉どおり言ってないのはわかるけど でもどうやってもなぜか
遅刻してごめんねの 言葉は口から出てこない。
わざとじゃない。なぜかそう繋がらない。
「何時だとおもってる」 「遅刻してごめんなさい」 じゃなきく 「何時何分」と答えが口から出る話 何度となく話してでも
「何時何分」が正しいよね そういえばと言った人はいない
そんなのおかしい、 言葉の整合に沿った表現に時間かけて訂正するのが 正しいこととに感じた時期もあったけど
私の口から出ないにしても 遅刻の文脈で 「何時だと思ってる」と「遅刻してごめんね」が 絶対変に思えない以上どうやってか 心にはそう繋がってる感じる法則がある。
そう考える方が筋が通る。
「何時だと思ってる」 「遅刻してごめんなさい」の会話のなかに
言葉の中に時間の縦軸をイメージする表現がないんで 縦と横の説明には向いてないけど 文章としてだけならば絶対繋がってないのに 会話としては成立してしまう極端さをわかってもらうには ほか思い浮かばない。
で、これくらい違ってもあってると感じるのは 縦と横に言葉が繋がってるからで
そう思えば、 叱る、怒る、励ます、が 感情で繋がる中身 言葉が増えるほど、私の頭の中では 言葉どおり時間の流れで聞こえ
今の私の事情を聞いてそれをあるまま肯定し 今できること、あとからの長期課題 きちんと私にあう個別性を理解して コーチ的アドバイスじゃない
一生懸命喋ってくれるのは確かにしても ただの説教。
お説教も場面性では私が悪いと感じ 言葉どおり説教してる意識があればいいけど
「叱る」「怒る」「励ます」が 「あなたのためを思って言ってるのよ」
で括られてると じぶんが説教してること自覚しない
もちろん、説教も「あなたのためを思う」を 含むけど 説教って一方的である自覚をもって使われてるから
「こんなに説教しても通じない?」とは 表現しない。
ところが 「叱る」「怒る」「励ます」は 聞いてる私の事情に沿ってないことを 私の事情を肯定せず、
「こんなにあなたのためを思って言ってるのに どうして通じないの」 もう少し聞いてくれてる場合でも なんていうか、そういう場合で自分の経験ではこう・・など 話す中身は主観、きっちり前後省略しなければ主語がすべて 話す人を「私」にし 聞いてる私は後回し。
別に私が素直じゃない人の話聞かないわけじゃなく 単純になぜか個性の強いキャラで 向き不向き、出来るできないのストライクゾーン狭いので 聞かされても困るというか あなたはそうでも私は・・・なんだけど この「・・・」が結局、なぜか器用に できちゃう人にはなんで?になって話し通じない。
と書いてい なんで話が通じないかを 説明するのに二つの話ごっちゃで切り離せてない。
叱る怒る励ますについての後半の話は きっちり主語を入れないで思考してると 話の中身が ほとんど文脈的に 聞いてる相手「あなた」について私はこう思うって 話を延々一方的になっていても
でそれ聞かされてる側が肯定されてると感じないってことで 言葉の縦横とちょと違うけど
で、更に「叱る」「怒る」「励ます」など 感情で横つなぎだと 言葉の本来の持ってる時間軸を軽く感じ喋ってしまう
(そういう意味でも説教は感情じゃないからやっぱり違う)
「こんなに言ってもまだわからない?」 これ 「言われてることはわかる」 言葉本来の時制に沿って返事したところで
「何時だと思ってる」に 「何時何分」と答えるのと一緒。
「こんなに言ってもまだわからない?」で 期待する返事は 「話わかったよありがとう(またはごめんなさい) 今後は努力します」
「言われたことはわかるよ。でも私は・・・・」と返して
「でも私は・・・」を聞く側の言い分として受け止めてくれる場合 経験的に少なく 「でも私は・・・」は言い訳と更なる説教が返ってくる
で思うけど 「叱る」「怒る」「励ます」は 相手のでも私は・・を言い分と思える共感、理解が伴ってなければ 「叱る」「怒る」「励ます」になってない 一方的説教だと思う。
*** 今日細木数子の番組みました。 好き嫌い別れる細木数子は 私的には彼女の思考はOKに感じる なぜって 自分の話が説教だと自覚して喋ってるから で、30年後日本は経済破綻で難民ばかりになるよって 海外に資本出して技術教えて 30年で自国で技術さえ学べばあとは教わらなくていいと 切られる。 う〜んそうかな。まあ経済のみ追うといいか ワーカー依存ならね。 教えている間にリタイア後の富を蓄積するとかね 国家についてもそういう方向で よその国に非難どれだけされようが 国家としてはよその国に国家予算としてお金の支援出さないで 溜め込むかわりに 民間事業経由で お金と人を支援するとか。 まあ確かに今みたいことの延長には危機感覚えた方がいい そこだけは正しいと思う細木数子。
一昨年の国会で 日本の農業も発想転換して手間の分高級輸出産業として やっていけばいいとか 馬鹿じゃないかと思うこと言う首相を支持してる 細子数子はいただけないけどね。
でも絶対中国の人口で今の日本のような生活水準に向かえば
地球規模では再生不能環境破壊臨界まで秒読み単位。
10年後地球がまだ人間の生存可能を維持してるかさえわからない。
かといってじゃあいいやで、生きるためのスキルの獲得放棄して 自暴自棄は馬鹿だし
自分でできること責任、変えられないことや運区別つきにくいです。
それにしても6星占星術私今年天中殺です。 去年までだって運があると思えなかったのにな〜・・
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