オットは私と出会う前から自分の父親と一緒にとある小さな会社を経営している。 結婚が決まったとき 私の中には選択肢があった。 1.オットの会社で事務として働く 2.システム開発関連で転職する 3.なにかアルバイトでもしてお小遣い程度は自分で稼ぐ専業主婦(本来の専業主婦とはちがう?) で、オットに訊ねたところ「一緒の会社で働く気はない」とのことだったので1は消えた。 じゃあ3かな?と思っていたら「いつもいつも俺の帰りをじっとり待たれるのもなんだし、専業主婦になってほしいとも思ってないな」 で、自動的に2となった。
私は97年4月から01年1月末日まで とある会社に勤めていたのだが 98年春くらいから99年4月末までの1年とちょっとの間 とんでもない社員だった。 最初の上司は「午後にならないと出社してこない&来たと思ったらすぐ他社に行ってしまう」人だった。 つまり私は仕事にはまったくのノータッチで1年近くだらだらとC++の本を読んだり小さなプログラムを作って遊んでいただけだった。 それから2,3ヶ月ほど別の上司の下についたがこの人も教える気ゼロのひとで、となりでソースを一緒に見てくれるもののデータベースのことなどなにひとつ説明してくれないので 私は「テーブル」といわれても勉強机しかイメージできずにいた。 挙句の果てに「人を教えるのは無理」と言われ放置。 放置されても困るので最初の上司に相談したら 別のチームに入ることになった。
そして そこから 私の最悪サラリーマン時代が幕開けとなる。
上司がいくら教える気がないといっても 私は新入社員。 それまでは9時前に出社して17時半頃に帰るという生活をしていた。
「さぁやっと仕事っていうものに触れるんだ」とワクワクしていた私を待ち受けていたのは 「チーム全体がまともに教える気がない」という状態。 今思えばC++でMFCライブラリを使った開発だった。DBはオラクル。 オラクルもインストールまではやってくれたが オラクルとは という基本も説明無。 ライブラリとは とか ライブラリの使い方 とかも勿論ゼロ。
チームに入ったとき最初の挨拶のときに入社5年目くらいの女の先輩に言われたことを私は絶対に忘れない。 課長が「彼女に教えてやってね」と誰というわけでもなく全員に向かっていったとき。 「えー あたし教えるの苦手だから無理」 私はそのときから嫌な予感はしていた。
そして予感は現実となった。 人にモノを教えるというのは難しい。しかも相手は新入社員な上にパソコンに触ったのは入社してからの初心者。
さぞかしもてあましたことだろう。
だけど、今考えたってあの対応はほんとうにひどかった。
私が『何一つわからない上に何を聞いたらいいのかも解からない』状態だったのは一目瞭然だったのに 彼らは私という存在を無視したに等しい。 プログラムのとある部分を任されたが「テーブルって何ですか?」と聞いた私にした説明はこうだ。 「列と行の箱。何行目の何列目のデータが欲しい というのは列と行の名前を指定すればいいから。」 ねえ ちょっと それで解かると思って言ってないよね 確信犯だよね
でもなんとか「こうかな?」というコードを作り上げ(間違ってたけど)おそるおそる先輩に聞くと 「あ、もうそれ作って出しちゃったからいいよ。」 これが2回繰り返されたとき 私は切れた。
つまり「さぼる」ことにしたのだ。
会社には午後から行くか ほぼ行かない。午前中から行ったときは16時半には帰る。 毎月定められた勤務時間からマイナス60時間ほどしか仕事をしなかった。 実家にいたので最低限必要な家賃とかも稼ぐ必要もないし。 月給が10万を切った月もあった。それでもよかった。
自分からやめるのは癪だからクビにしろ と本気で思っていた。 チームの人や上司はそんな私に「どうしたの?」とは一度も聞かなかった。一度もだ。 自分たちのチームにくる前まで勤怠だけはよかった私がいきなりこなくなったのは「仕事についてこれないから」と判断していたのだろう。 自分たちが最初からはじき出しておきながら。
これを被害者意識だ 自分の努力が足りないんだ という人もいるだろう。 でもそれから数年を経て結局同じ業界で仕事してきて思うけど、彼らの取った対応は最悪だ。 彼らのチームはチームワークはとてもよかった。 つまり初めから私などいなくてよかったし、お荷物を押し付けられただけだったのだから面倒をみるわけもない。
そういう生活が半年以上続いて 99年の4月頭。 とうとう課長(今はなんと社長だ)に呼び出された。
課長は「どうして会社にこないの?」と言った。 私は何もいえなかった。 「会社が嫌い?」と更に聞いた。 このヒトコトで堪えていたものが全部あふれ出た。 入社してから1年近く 仕事内容さえ教えてもらえない状態でいたこと。 次の上司には教えること自体を放棄されたこと。 今のチームで感じてきたこと。 全てぶちまけて「会社もチームも大嫌い!」と私は言い切った。
これでクビになるな と私は思った。
しかし課長は「何かしたいことある?」と聞いた。 私はきょとんとしながらも 「もう2年くらいエディタでがつがつタグを組んでホームページ作ってます。 やれるんならインターネットとかネットワーク絡みの仕事がしてみたいです。」 と答えた。
それから1ヵ月後、私は今ももっとも信頼する上司の下に引き入れてもらった。 その上司は「余ってたから君をとったんじゃなくて 君を選んでとったんだ」と最初に言った。 私はそのとき「あぁそうやってやる気を出させようとしてくれてるんだな。ありがたいな。この人の期待を裏切ることだけはやめよう。」と強く思った。 それは今に至る。
99年のGW明けから01年の1月末までの2年に満たない期間だったが その上司ともう1人の同期の男の子と3人で一生懸命仕事をした。 私には一生懸命しかなかったから。 そして 結婚を機に転職しようとしていたとき 今現在も所属している会社の人が「うちにこないか」と呼んでくれたのだ。 その人にしてみれば私の信頼する上司との連絡係&2年近く一緒に仕事をしているので気心が知れてる&一から教えなくていい と便利な存在だったのだろう。
私はその時点で2社ほど内定をもらっていたが、上司や課長に相談したうえで転職した。 仕事を受注される側から発注する側へとスライドしたのは今のところ私だけだ。
ついこの間 その前の会社の人たちの大半から「アイツはお世話になっておきながら会社を裏切って転職した」と思われていることを知った。 でも私はそんなのどうでもいいと思っている。
課長や信頼している上司・同期はそうじゃないってことを知っているので、それで充分だ。
あの転職からもうまる4年が経つ。 前の会社にいるときはアプリケーション開発だったのだが、移ってからもちろんその開発はなく、3年前に私を引っ張った上司がつけた私の肩書きは「データベースアドミニストレーター」。 データ管理者ってことなんだろうけど。
移ってから2年は契約社員だったが今ではオットが3年前に作ったシステム開発会社を通して請負常駐の形で仕事をしている。 来年も契約が続くが その先は わからない。 今は目の前や数ヶ月先にきまっているリリースや開発準備のことだけを考えるようにしている。
次に立ち止まることがあったら 私は何の仕事をしようと思うのだろうか。 どんな職種についても自分に教えられることを問われたら きちんと教えよう と決めているに変わりはないが。
chick me
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