ふつうのおんな

2005年03月15日(火) 母の様子3

月曜に予定されていた血液検査やCT検査をしなかったそうだ。
もう計ってもしょうがない状態なのか

17時ごろ会社を出て病院に行くつもりで14時ごろ母に電話をした。
声を聞いて私はすぐに会社を出た。

そのまま病院には向かわず新宿の伊勢丹にいき、喪服を試着した。
喪服ってすごく高いのね

遺族はちゃんとした喪服を用意しなくちゃいけない

もってない

喪服ってまともなの買うと5〜7万くらいする

4/10くらいからフォーマルウェアのバーゲンがある

バーゲンで買えば安い

でもそれまでに必要となる可能性がある

そもそも買いたくない

で、買わずにいたけど もう買わなくちゃいけないと思った。
しかし高い。
どこれもこれも8万はする。
私が気に入ったのは10万。

もしこれを買って着るとなったら間違いなく母の葬儀のときだ。
5万弱のもあったけどけちらずにいいのを買おう。
そしてそれで母を見送ろう。
そう思って選んだ。

ジャケットのサイズはちょうどだったのがワンピースはちょっときつい。
ここ1週間ほど晩御飯を食べていたら(母の見舞いの帰りについ食べて帰る癖がついてた。
母は食べられる量がどんどん減っているのでまた痩せてしまった。
私は母を見た後は食べるようにしている。負けるかって思いながらちゃんと食べる)
1週間で3キロも太ってしまった。

単に過食に走っているだけのような気もするが。

取り寄せになると言われたので これが1週間先っていわれたら 喪服に縁がないってことだと思った。
でも「明日の夕方に入ります」だって。
くそ

試着室にいるときに妹から「おねえちゃん できるだけはやくきて」と電話。

病室にいったら2日前より小さくなった母とそばでアンパンマンのDVDを見る姪と妹と立ったまま母を見守っている父。

母の目を見て涙が出そうになった。
ここまでひどい黄疸は これまでなかった。

妹がぐずり始めた姪を連れて駐車場に行くときついていって妹と少し話した。
「今日お母さんがね花瓶の水をかえてっていったの。
あんなにお花が好きでどんなことがあっても水かえだけはしてたのに自分じゃもうできないんだね。」
と言ってワンワン泣き出した。
「おうちの冷蔵にお母さんの食べかけの鮭フレークがあるの。
居間に使いかけのニベアがある。そういうのみてるとたまらなくて毎晩泣いちゃうんだよ。」
と号泣した。
私は姪を抱きかかえたまま妹も抱きしめて泣いた。
「お姉ちゃんに喪服かえって言っておきながら、私も買えずにいるの。いやだよいやだよ。」

姪は初めて私の泣き顔を見たのですこし驚いたのだろう。
私と妹の顔を交互に見ながら妹の腕に抱かれにいった。
道路でしゃがみこんで泣く私たちの間で黙っていたが、そのうち妹の目に自分の手をやり涙を拭いていた。
その後おどけ始めた。
「こうやって、この子はいつも私が泣き止むようにしてくれる。」と妹が泣き笑いになった。

この小さな子も数10年後同じ涙を流すのだろうか。

親の死は皆経験する。たまに逆になる不幸な人もいる。
私たちだけに起こる特別なことではない。
死は平等に訪れる。

でもあと3ヶ月でいいから 普通に食べられて生活できる時間が欲しい。

chick me
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etsu

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