2005年03月16日(水) |
母の様子4&わたしのこと |
ビリルビン値は12を超えているそうだ。 正常値は1.0以下だから すごくきついって そりゃそうだよね。
体中にかゆみ止めを塗ってあげると「手のひらがあったかいから気持ちいい」とうれしそうにする。 ふいに泣き出したりする。 母は今回の入院はそう長いものではなく 肝臓の状態をさっさと戻すためだけのつもりだったので こうも長引いていることが予想外だったらしい。
このあいだの日曜の夜酸素マスクを使いながら涙が止まらなかったと。
母は家族ほどには死を覚悟していなかったことになる。 具合が悪くなりつつも 自分は大丈夫なんじゃなかろうかと。
それを証拠に今回の入院では一か月分の家賃しか妹に渡してこなかったという。 さらに父の衣替えもしていないし。
母の涙は「まだ嫌だ」の涙なのだろう。 母がなくと切なくて 一緒に泣いてしまいそうになるけど 気休めの励ましを言うわけにもいかないので私は黙ることにしている。 ただ母のそばで黙って座っている。 白い巨塔の財前じゃないけど、今死ぬのは無念でならない気持ちがいっぱい伝わってくる。
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会社をしょっちゅう早抜けするのに何も言わないわけにはいかないので直属の上司と同じ業務をしているチームの2人に言った。 1人はF@一つ上の男子 もう1人はR@元同級生/私の所属する会社の女子。 Fは黙ってる。 Rは仕事いっぱいふっていいよ お母さんにあう時間作れるように と気遣ってくれる。
Fの態度もRの態度もどちらも正しい。 正しいけどありがたいのはFの態度かな。
なるべく母といる時間をもとう、とは思っているけど 私は自分の生活の全てをそれ中心に費やさないようにしようとしてる。 自分の生活のペースも守ろうと思ってるしそうしてる。 たとえば本当に母をすべての一番にするなら、八王子近辺にホテルとって朝と夜顔見ていくよ。 でもそれをしないのは もしも母を失ったとき 私の心にあく穴が尋常じゃなくなるって解かってるから。
容態が「今日にも危ない」っていうわけじゃなければ 携帯はいつでも繋がるようにして友人とも会う。 平日は基本的には17時には会社を出て母と1時間半話す。 休日は午後から面会時間終了までずっと。
後になって、それで後悔しないか といえばウソだ。 だって京都の桜を一緒に見に行きたいし GWは私のツテで予約した両親と妹夫婦の温泉旅行にもいって欲しい。 また銀座や長崎のバーで一緒に飲みたいし、おうちでワインのみながらだらだらと話したりしたい。
だから どんなことをしたって悔いは残るんだ。 力の限り精一杯、でなくても 私は私にとってベストの時間を母と過ごせればいいと思う。 母と会わない時間も黙ってたら母のことでいっぱいになってしまうんだもん。
「今のうちにいっぱい会っておきな」 とかあまり言われると 私は自分にできることを疎かにしてるように言われてるみたいで辛い感じだ。
親しい友人が同じ立場になったら 「気晴らししたくなったら言って。付き合うから。」と言ってあげたい。 とある先輩@女子が言ってくれた言葉なんだけど そのヒトコトは肩の力が抜けてほっとした。
所詮は他人事なのだから「自分にできるのは話を聞くことと飲みたいときに付き合うこと」というスタンスで向き合ってくれる人がいるというのは ありがたい。
今日もあと2時間したら病院行きます。
昨日は便が白から緑に変わったということだった。 でも少し鼻血が出たらしい。 シスプラチンは腎臓を弱らせTS-1は肝機能障害を引き起こす。 抗癌剤は 本当に使い方が難しいね。 諸刃の剣だ。
chick me
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