5/28 5:20起床 着替えて身支度をして母が自然に目が覚めるのを待つ。
7:30 母が起きたので 「おはよう お誕生日おめでとう。お母さん58歳だよ。」 と声をかけたら うれしそうに「あぁ えっちゃん」としがみついてきたので何度もおめでとうをくりかえす。 少し落ち着いたので一度自宅に戻る。
11時ごろ 妹より 今日が28日だとどうしても信じない と連絡アリ。 「だまされない」「あんたたちが間違ったことは許す」など新聞を見せても信じないらしい。 軽くランチをとってから病院に戻ろうかと思っていたら「はやくきて」と妹より。 ギャーギャーないてる妹の長男@7ヶ月のオムツをむりやりはいだり 長女@2歳半 のオムツを見せろ くさいから絶対もらしてる と言い張ったりしているらしい。 子供が二人とも泣いてしまうと妹もどうにもならない。 黒い靴@言いたくないけど喪服用 を買うつもりだったが直行する。 キヨスクで朝刊を5冊買った後八王子駅の日比谷花壇で妹と落ち合う。 赤い薔薇2本と白い薔薇4本を買う。両親と私たち姉妹 その夫たち で6本。
病室にはオットが来てくれていた。
オットがきた ということはかろうじてわかってくれた。が。
何度言っても信じなかった誕生日。部屋にくる人くる人皆に「今日は何日だと思ってる?」と問いただす。 あんなに待ち望んでいた誕生日なのに どうしてここまでかたくなに受け入れようとしないのだろう。 誕生日まで生きていたら が目標だったからそれが失われるのが怖いから? それとも本当に日付がわからなくて? でもなぜ皆がうそをついていると思うのだろう。
夜 父が来て「今日は28日だよ。おまえの誕生日だよ。」というと少し信じた様子。 妹が買ってきた小さなケーキをもってハッピーバースデーを歌った。 歌いながら皆泣いた。
今日・明日は叔父1が病室に寝泊りするので私と妹は近くのビジネスホテルを取った。 私は23時半過ぎ 妹は1時ごろチェックインした。
5/29 5:45 起床 先に支度を終えた妹が私の部屋で待つ。 「おねえちゃん 前にマル(ネコ)が瀕死だった時に安楽死させようかっていう話があったの。 絶対助からなくて長くないなら苦しめたくなくて。でもそのときお母さんが 苦しめたくないというのは 周りの者が苦しむのを見たくないというだけでマルは生きたいんだから逃げなさんな って言ったの。 だからお母さんも今苦しくても生きたいんだよね。」 と妹が話していた。
7時過ぎにチェックアウトして妹とファミレスのモーニングを食べる。 焼き魚のセットを前にして オットにこういう朝食を久しく出していないことを思い出し申し訳なくなる。
8:30 病室
容態が落ち着いていたので一度自宅に戻る。 洗濯と着替えをしてでる。
15:00 病室に戻る。ナースが血圧を測ろうとして母に引っかかれたと聞く。 声だけで「えっちゃん たすけて」と私がきたことに気がつく。 叔父が昼食を取りに出る。
痛くて動いてしまうので体の位置がずれてしまい 首の位置が悪かったので直すことにした。 私と若いナースでやろうとしたら母は身体に触られることをひどく嫌がり暴れる。 その際点滴の管を握り締めて引っこ抜こうとしたので母の両手を押さえつけてもう一人ナースを呼ぶ。 たぶん30代のいつもテキパキとした学校の先生のような親しいナースが飛んでくる。 ベッドを一度倒し(母は垂直に座りたがるがこれだと首構えに倒れて息が詰まる)背中のクッションをなおそうとすると「ちょっとまって!」と絶叫して母がいやがる。 ここでいくら待っても「いいよ」とは言われないので一気に直すことにしたのだが 叫びながら私の手に爪を立てる。 私はこういうとき優しい気持ちや悲しい気持ちよりも怒りが勝つほうなので ついこんなやりとりになった。 「なんできいてくれないの」 「イタイイタイ」 「お母さんのためにやってるのに点滴なんて引っ張ったらだめじゃない」 「イタイのよ!」 「死にたいの?」 「死にたいのよ!」 母はかっと目を見開き私を方を見ているが目はもう私のほうをちゃんとは向けず左右別の方向を見ている。 「そんなに苦しいなら 一緒に逝ってあげるよ!!」 私は涙があふれてきて 母の抵抗がおさまったところで病室を飛び出し 待合室で頭を抱えて号泣した。 1,2分後 ベテランのほうのナースが私を追いかけてきた。 ずっとずっと我慢していたけど 初めて病院でナースの前で 声をあげて泣いた。
私はさっき何を言おうとした? 「じゃあもう楽になっていいよ。」 って言いそうになったよね。生きていて欲しいのに 苦痛ばかりだけどマルのように最期までお母さんにも戦って欲しいのに。
ナースは私の背中をさすりながら 母がどれだけ私や妹のことを他のナースに自慢してるか どれだけ私たちに感謝してるかをいつも聞いてたんだよ 今は意識が飛んじゃってああなるけど 根底は違うんだよ と一生懸命に言ってくれた。
わかってます 私が泣いてるのは母の死を願った一瞬の自分の情けなさです とは、言えなかった。
その後は母は攻撃的になり唇を湿らせようと買ってきた持ち手の長い綿棒をうばって折って懐に隠したり、血圧を測るのを嫌がったりした。 私が「私のことわかる?」ときいたら横に首を振ったので(わかってるくせに答えたくないらしい)「じゃあもういいよ」と突き放す言い方をしてしまった。
相手にとって結果としてよいことに結びつくのであれば それまでの過程における相手の反応はあまり重視しない。 たとえば母の腰や背中の位置が悪くて痛みがあるとする。 それを和らげるためには一度ベッドを倒し クッションを全部抜いて母の体の下のバスタオルの位置を直してから もう一度起こし、ひとつずつ手早くクッションをタオルとベッドの間に差し入れていく。 これをすれば首も腰も楽になるのだから たとえどんなに嫌がっても強引にさっさとやってしまえばいい と思っている。 途中でどれほど痛がってもだ。
下半身の浮腫がすごいので思うように身体を動かせず(指にまできました) また 浮腫があるとモルヒネの効果は落ちる。 さらに呼吸障害が起こるのを防ぐためモルヒネの量もまだまだ増やす余地があるそうだ。 担当医に「御家族の方が痛がるのを見ていられないというのであれば モルヒネを増やすことはできます」といわれた。
しかし いくらモルヒネを使っているからといってここまで母が変わってしまうのがどうしてもわからない。 帰ろうとする父にいきなり絡んだり なんともいえない表情でにやにや笑って見せたり 攻撃的になったり。 私なりにいろいろ調べた。 「通常はモルヒネは使っている間は苦痛が取り除かれて 切れるとくるしむわけでしょ。 実際 モルヒネで痛みを抑えながら2年間ふつうに会社に通ったサラリーマンの例もあるし。 じゃあ お母さんはなんでここまでになってるんだろう。腎臓や肝臓に障害があると効きがさまざまなのはわかるけど。」 と言ったら妹は あきれたように 「本に書いてあることが全てじゃないでしょ。お母さんの体の中は何がおきてるかもうわからないんだから。」 と言った。
私の真意は伝わらなかったらしい。 なんだか頭でっかちなひとを諌めるようなことを言われてしまった。 私が言いたかったのは
「この狂人のような変貌は脳への転移があるのか 腎疾患で尿も一日100mlを切ってるためアンモニアがまわり始めているのか モルヒネが本来意図した効果ではない作用をしているのか 痛い痛いというけれど 浮腫みが圧迫されて痛いのか 内臓が痛いのか どれなんだろう」
ということだ。 言ったところで 「そんなの全部でしょ」 と返答されそうだが。
なんていうのかな
「気力」「(おそらく)NK細胞の作用」など 目に見えにくいものに理由を求めるのではなく 一番苦しめているものはなんなのかを追求して まずはそれを抑える ってことをしたいのよ。 その検査が苦痛を伴うものであってもね。 但し それはその後の生活が期待される人のすることだよね。
はっきり言って母に「無事生還」というのはもう望めないと思っている。 もしかしたら「生き長らえる」ことはできるかもしれない。奇跡で。
だから じゃあ その時間どう過ごす?ってなったとき 母は「苦痛を取り除く」を選択したのだ。 そして「できれば最期まであんたたちに話し掛けながら逝きたい」と言う矛盾。 余計な知識が一杯詰め込まれてる私にはそれが矛盾だとわかるが 母には解からない。 自分に点滴されている薬 自分の体の状態 考えられる可能性 展開 私はすぐに調べて ひぇぇとおののくタイプなのだが 母は「知らないで戦ってる」わけだ。 そのほうが恐怖が大きいかもしれない。
苦痛を除くのなら もう呼吸障害云々も超えて まったく痛みがなくなるほど投与すればいい。 マッサージも体位交換も本人の深刻で行うのではなく1時間に一回くらい付き添ってる人間がしてあげればいいんだし。 完全なる寝たきりだが それが「苦痛を取り除く」ということでは? 今は手に触れるだけで痛いことをされると思い「痛い!」と叫ぶ状態だ。
お母さんは今の状態でほんとうに いい? 苦しみ半分 意識も半分 という状態は本意?
まあ それぐらいぶっとんだことをしても妹の長女が「ばーばぁ」と駆け寄るとにこーっとわらうのだ。 「あーくしゅ」と母に手を伸ばすと手を差し出すのだ。自分から。
母にとっては最後に育てたコドモだから すべての愛情を注いだといっても等しい存在 まだ2歳半だから母に喜びしか与えていない存在
それにひきかえ私ときたら 最後の最後に母に怒りをぶつけてしまったよ
妹は痛みを訴えている母を悲しみに満ちたまなざしで見つめている。 私は自分の表情が厳しいものであることを恥じる。
5/30 4:40 東京の干潮時間(人が亡くなりやすい時間帯だそうで)がちかいので一度起きる。 病室の叔父から電話が来ないことを祈り30分待った後もう一度眠る。
6:00 起床
7:00 母がずっと「会いたい 会いたい」と言っていると連絡がきて 妹が先に向かう。
7:20 病室に行くと母は眠っていた。 手を握り「私だよ」と言うと軽く親指を握り返してくる。 「会社に行くね。夜戻ってくるまで頑張るんだよ」と続けたが反応はなかった。
13:30 仕事を休んでついていてくれる叔父から 「着替えをさせたらものすごく痛がったので痛み止めを入れてもらった」とメール。
ボルタレン座薬かと思ったら モルヒネの量を20ml→30ml/day?12h?にしたらしい。 これからは更に呼吸器抑制に気をつけなくてはならない。
15:30 叔父から電話 ひざやももの浮腫みが減ってひざの皿がわかるようになった 下半身も自由に動くし 背中のクッションもはずして枕だけでベッドを倒して寝られる 会話はまともにできないけど いってることがわかるって 口の中の乾燥もじぶんでもごもごして唇もなめてる おじさんには良くなってるように見えるよ
ということは、これまで痛みが強くて精神的に参ってた ということ? 痛みが緩和されることによって 少しでも楽になったのならよいけれど 見えない力ですこしだけ母が元の母に戻って 穏やかに逝けるようになっている その準備に思えて 叔父のように気楽な気持ちにはなれない。
chick me
|