ふつうのおんな

2005年05月31日(火) 病院の夜 4

5/30

21:15
病院に着くと母は軽くいびきをかきながら寝ていた。
もう3時間近く寝ているらしい。
このまま寝ていてくれたら呼吸に気をつけて唇を湿らせてあげるだけでよいので ちょっと楽だなと思っていたら 叔父が帰る頃になって目を覚ました。
それから「うぅう〜」といううめき声が始まった。低いのならまだしも高音で。
日中も2,3時間やっていたらしい。
痛がるように顔をしかめるので痛み止めを入れてもらうことにした。

22:30
痛みではない表情で相変わらず唸り続けているので 母がコレまでずっと唱えていたお経のようなもの(母は最近父に教わったが私は子供の頃きいて覚えていた)を3回繰り返して母のそばで唱えてみた。
3回目が終わらないうちに母がカッと目を見開き
「あんたなんばいいよっとねあんたなんばいいよっとねあんたなんばいいよっとねあんたなんばいいよっとねあんたなんばいいよっとねあんたなんばいいよっとね」
※方言で「あなたは一体何を言っているの」。責める口調。
とエンドレスでさらに高い声で叫びだした。
母のすさまじい形相とさっきまで唸るだけだったのがいきなり言葉で責め始めた状態に私は全身鳥肌が立ち 足が震えた。
父に電話して状態を伝える。
このお経のようなものは詫び・懺悔の意味あいで母は唱えていたのだが きっとつらかったのだろうね と。
私は「嫌なこといってごめんね」と見ていないかもしれないけど頭を下げて謝りつづけた。
だんだんと また ただの唸り声に変わった。

2:45
うとうとすると 母の唸り声で目が覚める。

3:00
最期に時計を見た時間

5:00
母の咳で目が覚めた。
痰が絡まる音だったのでナースをよんでバキュームしてもらうことに。
口は絶対にあけないので(水で湿らせてあげようにも綿や指をガチガチと噛んで阻止してくる)鼻から細いチューブを通してやることになったのだがものすごい抵抗。
1人が管を入れ 一人が母の頭を抑え 私が両手を抑えていた。
しかし抵抗がすごく、一旦止めようと管を抜いたところでイキナリ横をむいて真っ黒なものを大量に吐いた。
急いで器で受けようとしたが間に合わずかなりこぼれた。
タオル数枚と高さがちょうど良かった低反発枕もダメになった。

胆汁や腎臓で濾されずに残った毒素と胃液とこれまで口に含んだ水と血の混じったタールのような色の液体。

口の中は相当気持ち悪いはずなのにその洗浄もさせてくれない。
ただずっと喉をゼロゼロ言わせて歯を食いしばってにらんでくる。

鼻からの刺激で吐いてしまったのだろう。
この先なんどもこうやって吐くらしい。

これまでも何度か母が吐く場面に私はいた。大体2人だけの時だった。
そしてそのたび「あんたがいるときでよかった(=妹には見せたくない)」と涙目で「ごめんねごめんね」と謝っていた母。
「謝らないで」と背中をさすりながら答えていた私。
吐きそうになるときは 起き上がるそぶりをして口を手で抑えていたので 私はすかさずゴミ箱を出し ゴミ箱以外全く汚さず受け止めていた。
もう、そういうふうには できないんだね。

吐くたびに自分の吐瀉物を浴びつづけ なおかつそれを綺麗にすることも許してくれないんだね。

先週の木曜までずっと続けていた 寝る前の洗顔・化粧水・美容液・乳液・ナイトクリームでの手入れ も金曜からパッタリなくなった。
木曜の夜、痛みがひいていたらしい母は何もついていない手でいつものマッサージのジェスチャーをしはじめたのだ。
それを見て「あぁこの人はいつまでも身奇麗にしていたいんだな」と感心したものだった が。

6:10
病院を出る。
その10分後には妹が病室に入ったはず。

7:30
自宅に戻りシャワーを浴びて朝食を取り オットに夕べの様子を話す。
黙って聞いていたオットは「このままお母さんが亡くなってしまったら 悲しい気持ちより『あぁ 終わった』という気持ちが出てしまいそうで嫌だね」と言った。
まったく そのとおりだと思った。

10:00
電車の中でうたたねをした。
「あんたなんばいいよっとねあんたなんばいいよっとねあんたなんばいいよっとねあんたなんばいいよっとねあんたなんばいいよっとねあんたなんばいいよっとね」
が急に聞こえた気がしてびくっと 飛び起きてしまった。

夢だった。

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少し調べてみた。母の状態は「譫妄(せんもう)」というものに該当するのではないか?

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