4日 実家に昼に行って黒いワンピースに着替えて弔問客の対応。 すべての人に母の病状となくなる前の様子を話す。 何度も何度も。 いくら話してもあの地獄が伝わるわけもなく 今穏やかに眠る母を見たら鬼の形相も想像できるわけもなく。 ただ 母は戦った 精一杯戦った ということを伝えるのみ。
この日の夜中母が一番かわいがっていた姪、Y子が事故で痛む体を押して足を引きずるようにしながらやってくる。 母の顔を触りながら 「先週やったら間にあっとったとにね」 と静かにないていた。 そうだね 会えるはずだったんだもんね でも見ていたらもっと切なかったよ めがねをかけないと読めないお誕生日電報をずーっとひざに置いたまま スイッチが止まったように寝ていたあの日の母
あの日が最後のまともな会話のできていた日だ。
5日 再び弔問客の相手をしつつ通夜の前の腹ごしらえを買ってきたサンドイッチで済ませる。 私はおなかがすくし 何かを食べられる。 あと3時間で家を出る となってから買ったばかりの靴がないことに気がつく。 実家に持っていってもらってたはずなのに と1時間ばかり探すがない。 仕方なく養父に電話して適当な靴を持ってきてもらって通夜の前に履き替えることにする。
最後に家を出る母を棺おけに入れたとき涙が出た。 「おかあさん」 と棺にすがって泣く私を見て姪っ子が「えっちゃん!」と呼んだのが耳に入った。 私の様子がおかしいと思って呼んだようだ。 ごめんね えっちゃんは いまお母さんとこの家でのお別れをしてるの とふと横を見ると私と同じ格好で泣きまねをしながら棺にすがる姪 私は泣きながら笑った
通夜の会場ではセッティングがちゃくちゃくと行われ集まった生花が飾られていく。 花輪がないこの斎場ではすべてが生花だ。 花が好きだった母に似つかわしい。
斎場のお通夜というのは初めてなのだが東京って夜になったら電気もろうそくもお線香もダメなんだって? 長崎のお通夜しか知らないので初耳だ。 そこで叔父たちが担当者に吼える。「暴れるぞ」と叔父1が言い出す。 父は「喪主が騒ぐわけにいかないから代わりに言ったれ」と小さく加勢。 担当者が床に正座している姿を見てちょっとかわいそうだと思ったが 母を真っ暗闇に一人になんてできない。 粘ったあげく 電気は祭壇の周りだけずっとつける&ろうそくお線香ともに11時までOK をかちとった。 ふん お線香はつけちゃうもんね 誰かがいればいいんでしょ 通夜っていうのは「夜を通す」から「通夜」なんだからさ
通夜ではたくさんの人がきてくれた。 母はただの主婦だったのに後になって「奥様は何のお仕事をされていたのですか?」と聞かれた。 弔問客の多さと母の化粧した寝姿と写真の様子で仕事のある人だと思ったという。 お母さんよかったね そういう風にバリバリに見られるの喜んだもんね
私の仕事関係の人・昔からの友人たちが多く見られたのだが 顔を見るとなけてしまう気を許した人が続けてお焼香だったので私は途中涙が止まらなかった。 「何でそんな頭に?」という散髪を週末にしたらしい会社の仲良しのF@ひとつ上 が焼香してくれたのだが緊張のあまり笑いそうになっている表情を見て こちらまでふと笑みが浮かんでしまった。 ダメだよそんな頭そんな顔したら・・・・・・
最後にずっと母を励ましてくれていた親友Yとそのお母さんが私と話そうと待っていてくれた。 Yのお母さんを見たら号泣してしまいすがり付いて泣いた。Yは私の頭をなでてくれた。 その方も7年間がんと闘っているのだ。 なのに母が3年足らずで亡くなってしまい さぞ不安だろうにこう言ってくれた。 「先になくなってしまった方の分もがんばっておばさん生きるからね!」 ありがとう ありがとう おばさんからの手紙はお棺に入れました。
母を知る友人たちは皆「寝てるだけとしか思えない。昔のイメージの中にあったお母さんそのまま」と言ってくれた。 お母さん メイクほめてよね。皆変わらないって言ってくれたよ。
夜残ったのは私と妹と姪Y子と叔父12の5人。 しかしあんなに吼えた叔父2は飲んで騒いで(叔父1と歌ったりしてた)10時過ぎにダウン。 怪獣のようないびきをかきながら寝てしまった。 「11時までがんばろうよ」とY子が苦笑していた。
2時ぐらいを境にぱらぱらと寝て線香守を交代し 私は5時ごろから起きてついた。
chick me
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