ふつうのおんな

2005年07月05日(火) こども

日曜に久しぶりにメールをした友人の奥さんが流産したそうだ。

2通目あたりから返事が途絶えたので「忙しいのかな?」と思っていたら 流産したと病院からメールがきた。
妊娠したことを聞いていなかったので大変驚いたが 線の細い彼女の姿を思い浮かべて不憫でならないと思った。

友人はとても家庭向きな男の子で 家族が一番 なパパになるタイプ。
奥さんもそういう彼と一緒に家庭を大事に守っていくタイプ。

そんな二人に随分神様も意地悪なことをするなと思う。

その友人はとても忙しいのでめったに会えないのだが母の通夜に駆けつけてくれた。
そのことのお礼も兼ねてのメールだったのだが メールをした日にそんな事になって。
でもメールをしていなかったら彼も私に言わなかったと思うので 母が連絡するようにしてくれたのかと思った。
というのも、母の死の前一月くらいの間、何年も会わなかった友人たちと偶然と必然とで立て続けに連絡がつき、その縁で連絡して皆葬儀にきてくれたのだ。

あんたのお友達に起きる悲しいことに 今度はあんたが心砕く番。

と言われた気がする。
日曜は母の最初の月命日だったのだから。

流産を経験した女友達(今は母親)に そういう状況のときに何ていえばいいのだろうと相談したりもした。
が、結局は新たな命を授からない限り完全に立ち直ることはできないんだと思う。

昔 子供を何人ももうける時代は 5人も産めば一人くらいは死産だったり流産だったりして産まれない子がいた というのを何かの本で読んだ。
精子が卵子に着床するのも
卵子が分裂して命として形作られていくのも
無事に産まれるのも
全ては運とタイミングと環境なのだと思う。
この世界の空気を吸いオギャーと泣くに至るまではその子が産まれでようとするパワーが必要だし。

だからといって彼女に「次頑張ればいいじゃん」などと無神経なことは言えない。

私も意識しつつあることだが30代の初産は20代前半の出産よりも初めからリスクが高いのだ。
それを覚悟で妊娠するのだから 生まれたときはすごくうれしいし無事産まれてくれればもっとだろう。
その気持ちがバラバラにされてしまったのだから またがんばれ などとは口にできない。

彼女の流産はたとえ彼女が何か無理をしたのだとしても(たとえば転んだのだとしても)それは彼女のせいではない。
階段から落ちたって産まれる子は産まれるもんだし。
その子とは縁がなかったのだ。

私自身いまは母になる気はない。
だが もしもこの先恵まれることがあれば(そうだ 子供って恵まれるって言い方するんだよね。授かりものなんだな とつくづく感じる)どうか産まれてきて欲しいと思う。

欲しいと願う女性みんなに 平等にやってきてくれるものではないけれど できれば彼女のところになるべく早く訪れて欲しい と願うばかりだ。

chick me
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