HARUKI’s angry diary
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2005年01月04日(火) 台湾紀行 その3

12月30日
朝。
甥っ子が前夜食べたラーメンが強力で「胃が変だ」と言い始めた。
「胃薬を飲めば?」という話になったのだが、なにかお腹に入れないといけない、ということでクマが「じゃ〜ん!」と持ち出した米のジュース。←もちろんコンビニで買って来てあった
奄美大島や沖縄では「ミキ」という名称で親しまれている白いどろっとした飲み物である。
HARUKIもクマもこれが大好きなのだが、なかなか東京では入手できないので、こちらに来たらまずこれを買って飲むことにしている。

クマ「飲みなよ、お腹にやさしいよ」
HARUKI「変じゃないからさぁ」←大ウソ
甥っ子「う…ん」←信用していない

グラスに入った米ジュースを一口飲んだ甥っ子。思わず言った。
「いらねぇぇぇぇ!」
あははははは!
やっぱりダメかぁぁぁぁ(笑)。←面白がっているらしい

8時45分。
今日は無料ではなく、ちゃんとオプショナルツアーの料金を払って台湾北部の観光である。
ロビーに待っていたガイドさんは、前日のおじーさんに輪をかけたおじーさん。

じーさん「陳と言います。昭和ヒトケタ生まれです」

うわぁ、70代ってことかい!
台湾じーさん攻撃だよ、これじゃ(笑)。

もちろんHARUKI一族のみの参加なので、前日と同じ車。

最初に向かったのは「悲情城市」という映画の舞台で一躍脚光を浴びた九份(チョウフン)というところ。
ここはかつて金鉱の街として栄えた所である。独特の町並みは、宮崎アニメの「千と千尋」で最初に両親が豚になったところのモデルにもなった(らしい)。
階段だらけの商店街を歩いていると、地元の学生さんたちが観光に来ているらしく、どこも大混雑。
ここの名物タロイモのおだんごを食べながら歩くのが通らしい。
暖かいものもあるが、クマはカキ氷にしてもらって食べていた。
そして、謎だったのは、木のゲタを売っているお店が多かったこと。もしかして、今台湾ではゲタが流行っているのか?

うろうろお店を見ていると、「買ってくれい!」といわんばかりのハンドマペットが!!(笑)
陳さんが言うには、人形芝居ようのものらしい。
西遊記の登場人物の他には、三国志の人たちもいたのだが、いかんせん謎の中国人キャラが多かった(汗)ので迷わず、孫悟空の仲間入り〜!(笑)

命名:CH猿←おーい!

松風:「がうがうがうがうがう」
CH猿:「我悟空!顔怖気優善猿!夜露死苦」←もちろん中国語ではありません←当たり前だよ!

狭い階段を歩くのはかなり大変なのだが、陳さんは元気にたったと歩いて行く。
うーん、じーさん元気だぁ。
一方クマは「絵になるなぁぁぁぁ」と言いながら、立ち止まってスケッチするのだが、とりあえずじーさんはせっかちだからガンガン行ってしまう。
時間に余裕があれば、途中のお茶屋さんでゆっくりお茶でも飲みながらのんびりしたいところなのだが、いかんせんツアーの悲しいところ。そうもいかない。
HARUKI「また来る機会があるでしょう」
クマ「うううううう」
HARUKI「少なくとも国内旅行よりは、安いからさぁ」
クマ「うううううううううう」
HARUKI「今度高雄にも行ってみたいからなぁ」←また台湾に来るつもりらしい
クマ「ううううううううううううう」
たっぷりみなさんをお待たせして、車は出発した。

さてこの陳さん。
やたら政治談議が好きらしい。マイクを持つと政治の話をぶっている。走っている途中で、山の斜面に派手な石造りの建造物がたくさんあった。HARUKIの想像では沖縄のお墓にそっくり。
そこで声をかけた。
「あれ、お墓ですか?」
が!じーさん、耳も遠いらしくて、こちらの言うことなんかまったく聞こえていない。
再度叫ぶ。←小さな車の中なのに
「あれ、お墓ですか?」←叫ぶことじゃねーぞ!
やっと聞こえたらしい陳さんは、ようやく説明してくれた。
中国では土葬が普通で、それも結構な日数を放置して、いい日を選んで土に埋めるそうだ。それからまた数ヵ月後に掘り出して骨壷に入れ直すらしい。
なるほど〜それでキョンシーが出てくるわけだ。←おいおい

次に行ったのは、基隆という港町。ここは、昔からの軍港でHARUKI母などは戦争中、しょっちゅう大本営発表で、この名前を聞いていたらしい。
おそらく戦争中は活躍した港なのだろう。もちろん今でもタンカーやら軍艦などが入っているらしい。

そして次に行ったのが、中正公園。
香港で見たタイガバームの公園をHARUKIはちょっち思い出した(笑)。

昼食後。
野柳風景特定區へ。ここは東シナ海に突き出た岬の海岸一帯で、潮風やら波の侵食で出来た奇岩がたくさんあるところ。
最初に「この岩が出来るまで」という内容のビデオ映画を見せられたのだが、HARUKIは寝ていたのでまったく覚えていない。
昔からHARUKIは、昼飯後のスライドを使った授業は全部寝てた人間だから、起きていろ!っていう方が無理だし。←おいおい

天気予報によると、台湾的にはこの日はめちゃ寒い日だったらしい。そこでみな厚着をしてきたのだが、もう暑くて暑くてコートもセーターも脱ぎ捨てたいくらい。
そして、この広い海岸をこれまた陳さんはたったと歩く。
あのさぁぁぁぁぁ、その体力どこから来るんかい!
ホントに昭和ヒトケタか!

実は朝、テレビをつけたら「忍者ハットリくん」をやっていた(もちろん日本のアニメ)。しゃべっているのは明らかに中国語。なのに、画面下にこれまた中国語の字幕が出ていたのだ。
そこで陳さんに聞いてみた。
すると、台湾では学校では北京語を教えているが、福建語や台湾語などが入り乱れているらしい。そして、チャンネルによってそれぞれしゃべっている言葉が違うらしい。が、中国語の特徴でとりあえず文字は同じなので字幕を出せば誰でもわかるということになっているとか。

陳さんいわく「台湾語を国の言葉にすればいいのに!」だそうだ。
まぁ、国粋主義者ならでは(笑)の発言ということで。

怪しいみやげ物屋さんの呼び込みを通り過ぎ、ようやく観光は終了。
はぁ、づがれだぁぁぁぁぁ。
っていうか、まる1日、じーさんの演説を聞かされて疲れたっていうかぁ(笑)。
まぁ、お年寄りが元気に働いているっちゅーのはいいことなので、良しとしましょう(爆)。

今日ももめます晩御飯(笑)。
台湾に半年留学していたというHARUKIの仕事上の知り合いが、教えてくれた精進料理のお店。興味があったので一同の反対を押し切っていくことに。
精進料理と言っても完全なベジタリアンのお店。こちらでは素食という。肉や魚はもちろん使わず、にんにくやにらなども使わない。

知り合いに書いてもらった住所を頼りに、歩いてホテルを出発。
が、その住所にたどりつくもお店が見当たらない。英語が堪能なHARUKI姉がいろんな店に入って店員さんに聞きまくりようやくたどり着いた「全省素食家」という店。
どこにも看板出てないし。大丈夫なんかい。

案内された店内は、キティちゃんの嵐。うわぁぁぁぁぁ。
お皿からフォークからスプーンからすべてキティ。
HARUKIが「信じられなーーーーい」とわめいているとHARUKI母が言った。
「あなたの家だってすべて食器はスヌーピーでしょ。同じよ」←慣れているらしい(大汗)
へへへへーーー、その通りでごぜーますだ。

見かけは肉のようだが、まったく別物の謎の食い物や、サラダや、パパイヤを使ったグラタンやらを食す。
それまでどこへ行ってもいまひとつだった甥っ子は「今日のはおいしい!」と言いながら食べている。
よーございましたぁ。

極めつけはデザート!
HARUKIはメロンやスイカやキウイなどウリ類が大嫌いなのだが、それがてんこ盛りなのだ。
がるるるるるるるるる。
食えるものないじゃん!!

行きたがったのはHARUKIです。でもね、これはつらいわ。

一同今日も満腹。
母「でもみんな野菜だから、太らないわよ」
クマ「そーですねぇぇぇ」
熱心にダイエットに励んでいる二人がうなずきあっていた。

12月31日
いよいよ帰国の日である。
飛行機が午後の便だったので、午前中は自由行動。
もちろん(笑)HARUKIとクマは再度マッサージの店へ。

最初に来たときには気付かなかったのだが、マッサージ室の天井に四角く手すりがついていた。
先に背中をやってもらっているクマを見てHARUKIは理解した。
台湾マッサージでは、背面はすべて足で踏む。そのためにマッサージ師が動き回るときにつかまるところが必要。それが天井についている手すりだったのだ。
ほぉぉぉぉ。
そしてその足は手のように絶妙に動く。あんなに足の指を使ってたら、足つりそうだけど(笑)。

閑話休題。
←トリビアでやっていた台湾の信号。あと何秒で信号が変わるかが表示されている。さらに時間が短くなるとこの信号の人が走り出す。
わかりやすいといえばわかりやすいけど、このせかされ感がなんとも言えず微妙にいや〜んな感じ。

午後1時45分。
ホテルのロビーに空港まで案内してくれるガイドさんと車が来た。
あぁぁぁぁぁぁ、またじーさんだぁぁぁぁぁ。
それも前日のじーさんより、もっと年上だぁぁぁぁぁぁ(絶句)。
台湾の日本人相手のガイドの年齢に上限はないらしい(笑)。
恐るべし!台湾ガイド!!!!!!!!!
ところでおばーさんのガイドはいないの?←素朴な疑問

空港について、驚いた。
日本は大雪!! 名古屋行きの便は、遅延とか出てるし。

HARUKIは東京の雪で暗ーーーーーーーーーい思い出がある。
もう10年以上も前のことだが、真冬の北海道を友人と旅行していた。いざ帰るだんになって、札幌は大丈夫なのに羽田が雪で閉鎖。
飛行機が飛ぶ予定もないというし、しょうがないから陸路で東京まで戻ったのだ。あのときの遠かったこと。

うーん、いざ飛んでも成田に着かなかったらどうしよーーーー。

HARUKIの心配をよそに飛行機は飛び、着陸のときはめちゃめちゃ揺れたけど、なんとか無事到着。

でもね、高速道路すべて閉鎖だし!!(激怒)
なんでよりによって大晦日に、東京に雪降るかなぁぁぁぁ。

その後、延々一般道で東京まで戻ったHARUKIとクマの悲惨なお話はまた別の機会に。←思い出したくもないのでないと思うが(笑)

こうして無事台湾旅行は終了。
台湾良いとこ一度はおいで〜♪と思わず歌いたくなるくらい楽しかった。

が!!東京のあまりの寒さにHARUKIが風邪を引いたのは言うまでもない(涙)。


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