3歳の息子が何の脈絡もなく、妻に「ばか」と小さな声で言いました。それを聞いて、妻はひどくおちこんみました。そんな年齢のときに、そんなことを言うなんてと考えると、悲しくなってしまったそうで、「お母さんをやめる」と言って、寝てしまいました。息子はあやまっていましたが、 「たいへんな思いをして生んで、育ててきたのに、今までのことが無駄みたい。お母さんに『ばか』って言うなんて」と言われていました。 ぼくは、息子にあやまるようにうながしていました。「ばか」だなんて言ってはいけないのだと、教えていたのです。その様子を見ていて、妻は、ぼくも自分の味方になってくれない、息子の応援をしている、と思ってしまい、ますます悲しくなってしまいました。ぼくは、妻と一緒に息子のことを怒っていなかったのです。
翌日、ぼくは仕事に、子どもたちは保育園に行きましたが、妻は寝たままでした。昼間、電話をかけても妻は出ませんでした。困難は重なるもので、仕事でミスが見つかり、残業を余儀なくされ、いつもより2時間も遅くなって、子どもたちと帰宅しました。 妻は、すぐには息子と話しませんでした。「お母さんをやめる」と言ったのに、それほど息子がこたえていない様子だったからです。 息子は泣き出し、やっと妻と向かいあうことができました。 「『ばか』って言われて悲しくなって、お母さんやめようと思ったんだよ」 「もう『ばか』って言わないよ。ごめんね」 それから妻は言いました。 「1日中、何もしないで泣いてばかりいたの。お茶をいれるのもめんどうで、みかんばかり食べて、おしっこ製造機になってた」 「おしっこ製造機」というものが何なのか、結婚する前に妻にたずねたことがありました。それは、ただ水分をとっておしっこをすることしかしていない状態のことだと説明しながら、手帳に絵を書いてくれました。それは、ボタンのついた箱の上にじょうご状の部品がついており、箱の下からは管がだらしなく出ている、といったものでした。上のじょうごからお茶などをそそぐと、下の管からおしっこが出る仕組みで、そのおしっこを受ける容器すらなく、ただ、垂れ流してしまうのだそうです。その絵のことを思い出しました。 妻の一日を思うと、ぼくもつらくなりました。それから、おなかを痛めた妻の立場に立って考えてはいなかったと思いました。命をかけて生んだ子どもに、まだ小さいうちに『ばか』と言われたのに、ぼくは妻ほどショックを受けていなかったのです。
それから妻は和風スパゲッティを作ってくれ、皆で遅い夕食を食べました。残り物のいわしの梅煮とセロリとえのきだけの、不思議とおいしいものでした。 食事の支度をしているときから寝るときまで、息子は妻に対してとても気をつかって、いろいろと話しかけ、精一杯楽しい気持ちにさせようと努力していました。いつもなら、すぐ、けろっと忘れたようになってしまうのですが、今日は違っていました。息子にも妻の思いが伝わったのでしょう。 今までのことは、無駄じゃないよ。
|