やっと開放されました卒論から。提出がおわり、口頭試問も終わりました。教授(いちようけっこう名のある文芸評論家)にもそれなりに評価してもらい、まー、一安心というところです。
論題は「黒井千次論〜現代日本という時間と空間」、黒井の初期のころの作品、「メカニズムNo.1」「冷たい工場」などから「時間」「五月巡歴」、までの創作の過程をおっかけながら 戦後日本が、高度経済成長を進めていく中で見落としてきたものを探っていくといった作業をしてみました。 五月巡歴のころまでの黒井は、実際に企業の中で働いており、まさに高度経済成長を担ってきた存在であります。 そうした、黒井によって描かれた作品からならば、現代日本が構築されていく中で 存在している「光」と「影」を読み取れると思ったのです。
口頭試問の中で黒井の作品について少し教授と議論しあったのですが、その中でうちの教授はこんなことをいってました。 「黒井の作品というのは典型的な天才によってかかれた文学だ。 それゆえに作品の難解さというものがない。読んで考えさせられるという作品が少ない。 読んで妙に納得してしまう作品が多い。そういった点でいえば黒井が敬愛した野間の作品 の方が私(うちの教授)からしてみたら面白くよめる。」 確かにそういった部分はあると思います。それゆえ私の論文も黒井の手法、作品感といった 部分にはほとんど入ってゆけず意味論に終始してしまいました。 黒井文学を愛する私としては黒井批判を論文に書くことができませんでした。
しかしそうした作品ばかりではないと思うのです。要所要所で黒井は非常に考えさせられる作品を私たちに送りだしてくれています。 たとえば昨年出された「羽と翼」あの作品は決してわかりやすい作品ではないと思います。 私が黒井作品からよみとろうとした「現代日本」という「時間」と「空間」の「光」と「影」、そうしたものを 「光」と「影」を構築してきた自らの世代が、「現在」という空間から同世代へ、そして我々(私は23歳)の世代へのメッセージとして書かれたものであると私は思うのですが、未だに最後の「死にました・・・・」の部分を理解するにはいたってません。
ま、何はともかく「春の道標」にであってから7年間の思いをこうして論文としてまとめることが出来て、今、一種の爽快感があります。口頭試問のあと教授と一杯呑んで帰ったのですが 本当にビールがおいしかったです。
とりあえず、大学という空間はけりがつけられそうですが、文学への思いは、けりがつけられるどころか逆に高まりました。 まだまだかかわっていきます。当然、黒井の探求もつづけます。 まずは、友人たちとの同人活動に重点をおいていきたいと思います。
|