るなふの日記

2005年01月28日(金) いまさらだけど

朝のテレビで、
アウシュビッツ開放がされて60年がたったことを告げるニュースをみたので、
そのあと古いテクノ(ケンイシイ)を聞きながら会社に急いでいた道で、
ずっとパサジェルカのことをふつふつ考えていて、
ふとようやく思いついたことがあります。

パサジェルカの女囚人の中にどうして、別チームのマルタがいたのか?
の理由について。
あたしには結構納得いってなくって。

だってライフを観る客というのはたいていが、どちらのチームも観劇するコアなファンが多いじゃないですか。
そういう人たちには役者の判別は後ろの席からでも簡単なわけで、
舟見さんの後ろの及川さん、
及川さんの後ろの舟見さんが
たくさんの女囚人の中でもどうしても目にはいっていたと思います。
なぜ新人で構成されている中に、
異分子として彼女ら(といわせてください、マルタだから)が挿入されていたのか?
よく理解できなかった。
別に彼女らが別チームでも囚人としてでてくる必要性がみあたらなったように感じられた。

でも今日、それはもう一人のマルタだったからという結論がほろりと思い浮かびました。
リーザに愛されず、多分タデウシュにもアウシュビッツでは会えないままに死んでいったマルタの姿を、舞台の前面にでるマルタの亡霊のように出現させていたのかと思います。
一人の女の人生がこうして選別されてゆくのだ、と。
客には戦争と運命のねじれをみせ、
マルタを演じる役者には別のマルタの人生を確認させていたのかもしれないと。

もしそうだと考えると、
そう考えると倉田さんのキャスティングって深いな、なんて。
きっと皆さんは見たときからわかっていたことなんでしょうけど。
今更意味にきがついた自分、遅すぎだよと悲しくなったり。


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