2005年07月03日(日) |
こういうことがあるから。 |
昨日のマチネでわたしの『メッシュ』が終わりました。 それでね。 昨日のマチネの芝居はすごくよかったの〜!
……いきなり子供みたいな漠然とした感想ですいません。←馬鹿 でもあたしが今までアリエ3回ルリエ1回見たのを全部忘れるほどよかったの。 手の中の宝石を愛でていたいような気持ちにさせられる芝居で、 結構冷静に芝居をおってしまう、感動しにくい体質のあたしの身体が何故か 一部が終わった段階で現実に戻ってこれなくて、地面に足がつかなかった。 そしてその日会うはずの友だちを捜して、目があった途端、二人で思わず 「今日、すごくよくない?」 と口を揃えて言う。 なんだろう? どこをどう言えばいいのか、つたないあたしの語彙と頭ではお伝えできないのが残念ですが。 ぶっちゃけ山本メッシュがものすごくかわいくなってたということでしょうか。(爆) いや、もちろんあたしは山本さんの役はいつもどことなく可愛いとは思っているんですが(そんなこと思っているのは皆了解済と思うが)、そうではなくて、メッシュ自身がいとおしかったんです。 やさぐれ、人生を少し投げかけている放心した顔で、 「かなったことはない。やめたんだ。気をもむだけだし」 と呟くメッシュが煙草でなく、自分を心配して待ってくれてくれたあたりでふっと見せた笑顔には光が宿った。 希望がみえた。 寄港するべき港をみつけた。 その変化がはっきりとみえた。 ここから彼が役にたつとか、きれいとか、そんなことなしに無条件に甘え許してくれる家族をみいだして、 一段ずつ。 少しずつ。 「ベッド、もう使わない。すけべ」 「なんだよ、勝手だろっ」 頬ふくらませて怒ってみたり、 水かけてみたり。 自分を一番大事に思って欲しいから言うべきものであって、 ただの同居人だと思ったら言わない。 そして、その言い方がまっすぐで子供の独占欲だし、子供のわがままなのだ。 どんどん子供に還ってゆく。 ミロンに自分を預けたい気持ちと、 本当の父であるサムソンへの愛と憎しみ。 父への想いが結局失速した時、 メッシュはミロンの無償の慈しみの中で生きてゆくことを決める。 「血が繋がっていなくても、これが自分の家族だ」と。
前に見たときには他の役者との温度差を感じるくらいに突出していて痛々しいダウナーな苦悩の表情をみせていたメッシュ山本さんが、静かに、傍目には苦しそうには思えないのに透明な悲しみがすけてみえるような綺麗な顔で哀しさを表現していたとこにもう、やられっぱなしでした。 すてきな役者さんです…。
あとは、メッシュが沈んでなかったからなのか(笑)、芝居の流れにテンポと波がうまれてて、全編息苦しいようなルリエでなかったこともよかったのかな。 最終場面が終わった瞬間に、もう、あたしは、 「定められている拍手よりは、もうちょいしよう」 って決めてた。 おもしろかったよ〜〜!、とぜひ拍手で伝えたかったのだもん。 で、きっと、あたしだけでなく今日は他のひともそうだったらしくて、カーテンコールがありました。 暗転から、ひらりと飛び出てきた山本さんと、突発的なことにどういう並びでいたらいいのかわからないままに挨拶。 予定調和でないぎこちない挨拶にまた、心洗われ、劇場をあとにしました。 そのあと友だちと、 「こういう芝居を偶然、突然にみることがあるから、舞台ってリピってしまうんですよね」 と言い合う。その通りだよね。 しょせんその場に居なくてはわからない生の舞台の迫力と進化と面白さを改めて実感しました。 これからもそういう舞台にあえたらいいな。
余談ですが、会った友達に、 「高根さん絶賛DAYは続けてくださいよ」 と念を押されました。 が、がんばります! でもあたしに高根氏を語らせたら、ただの担当馬鹿文章っすよ?いいの?
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