『生きつづける光琳』玉蟲敏子 吉川弘文館 光琳受容の様相を述べた美術史研究家の著作。 光琳の魅力そのものを語るものではないが、光琳存命時から今にいたるまで、光琳がどのように脚光を浴びてきたかを資料をもとに丁寧に述べている。 18世紀、京の売れっ子デザイナーとして捉えるのは当然としても、意外なことに文人画家として位置づけられたりもしていた。そして19世紀、忘れられかけた頃、抱一が再評価し、江戸において復活する。明治になって、西洋人による評価、これはさもありなん、という感じであるが、その後、デパートによって好事家のみならず大衆に紹介されたというのは意外だった。しかも本朝におけるアール・ヌーボーとしての扱いも!戦後はメディアを通じてのさらなる大衆化の進展。明治のそれとは異る海外からの視座の提供。 こうなってくると21世紀の光琳評価がどうなるか、大変楽しみである。しかし、それと同時に、美術書がばんばん世に出せたような教養主義的な思潮はいまや期待できないのだから、大衆化も頭打ちなのではなかろうか、と私は思うが、玉蟲氏はそこまでは言及しない。 面白かったのは、「装飾」という言葉についての論考で、実はこれは美術を語る言葉としては、あまり古い用語ではないらしい。decorativeの翻訳語として使われ始めた=西洋人の評価の逆輸入とのこと。そして、それがその後の光琳の評価を縛ることになった。かねてから、美術品や音楽を言語で評価することの限界と矛盾を感じている私としては、とても納得のいく論考だった。著者が言葉を慎みつつ語るのは、この弊害から逃れようとするものだろう。 巻末の参考資料や文献リストが大変充実している。私にはあまり必要のない部分だけれど、何かのときに役に立つかも。 |