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『たった一人の反乱』
2004年10月22日(金)

『たった一人の反乱』 丸谷才一

このあいだ『輝く日の宮』についてぶつくさ言ったのだから、もう丸谷才一を読むこともないのだけれど、一緒に借りてきていた本の中にもう一冊あったので結局読んだ。1972年(30年前だ!)「谷崎潤一郎賞」受賞作なのだが、はて、それほどの御作にや?

60年代の学生運動、街頭でのデモ隊と警察の衝突なんていうあたり、はっきりいって、これはSFなのだろうか、と思うほどの読み心地。丸谷氏のせいではなく、時の流れのせい。新宿西口地下広場でフォーク集会なんていうようなこともあったんだよねえ・・・。

とにかく、防衛庁行きを拒否して天下った主人公(3ヶ月前に妻を亡くす。子どものときから身辺の世話をしてくれた女中さんが彼の結婚後もずうっと一緒についている)が、若いモデル(大学教授の娘)と結婚したことで巻き込まれる大騒動が小説を形作る。つまり、モデル妻の祖母が殺人犯で服役後出所して、彼らと同居することになる。その祖母とくだんの女中と気が会い、祖母も女中も「彼氏」を作り、わけのわからんことになっていく。モデル妻もカメラマンと怪しい一夜を過ごすし、主人公も祖母のムショ仲間とキス程度までは到着。機動隊に石を投げる一般市民、催涙ガスで弾圧する機動隊、というような物騒な世相を背景に、恋愛を楽しむ老女、権威にたてつくカメラマン、直感的に自分たちを抑圧する力を知って反抗する者たち・・・<自由>を問いかけているのかもしれないけれど、で、それがそんなに面白いかぁ??

モデルという名札がついただけの幼稚な妻。あるいは彼女の幼さをいいたいがために、モデルと設定したか(これって職業への偏見)。モデルがモデルでありうるための精進はまるで言及されず、それどころか、<モデル>と説明されていない限り、彼女がモデルだとは到底読み取れない。モデル的肉体美を作中から感じられないのだ。・・・<女のかけない作家>決定

他の男と寝た彼女が最終的に「ぼくの妻として生きるしかないと覚悟を決めた」とあっさり片付けられるのも、ちょっとなあ・・・。1972年、女にはその道しかなかったのかね?

女中は惚れた男にそそのかされ、飲み屋をやるために退職するのだが、前半部でとても読者をひきつけるキャラなのに、途中からは作者にほとんど無視される。ストーリーの邪魔になったのかなあ。私はこの人が人生をささげてきた主家を離れる決心をする葛藤こそもっと語られてしかるべき、と思った。

大体、主人公の曽祖父が北陸政財界の大物だった、ということで始まるのだが、それも全体のプロットには十分生かされていないように思われる。30年前の丸谷才一って何だったのだろう?私が読み落としていることも多々あるだろうとは思うものの、もう一度読み返すほどの気にはなれない。つまらなさすぎ。いくら娯楽小説にしても観念だけで女を書いてほしくないなあ。どうしてこれが「谷崎潤一郎文学賞」なんだろうか?この程度に女を描き、女に反抗させるのがそんなにたいしたことなんだろうか?それがそうだとすれば、審査員の受け止め方の恐ろしい古さがあったとしか思えない。谷崎の描く女は実に凄みがあるぞ。

まあ、この程度に女を書いておけば、男は安心かもしれないね。




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