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岩佐又兵衛@千葉市立美術館
岩佐又兵衛、まあ、行ってみるか、と出かける。先輩がセットアップした専門家入りのプラチナグループに引っ付いてこないかという誘いも受けたが、日程が合わず、一人で出かけることにした。(私はもちろん素人、もつべきものはいつまでも後輩を案じてくれるよき先輩)、
予想外の素晴らしさ。又兵衛のことは浮世絵の画集で見て、ちょっと面白いじゃん、くらいには思っていたが、ここまでとは思わなかった。 さすがは千葉市立美術館・・・ここは浮世絵の専門家が館長で、いい学芸員もいる。いつかの師宣展のときもとてもよかった・・・又兵衛の魅力をよく感じることができた。なんていうか、一つの型にはまらないで、すごい、としかいえないボキャブラリーの貧しさ。時代も画風も違うけれど、北斎の器用さと相通ずるものがあるかもしれない。隅々まで個性的で、<習った>という感じがしない絵なのだ。実際には土佐派の影響を受けている線とか、いろいろ分析できるらしいが、お師匠さんから粉本を与えられて、そのまま受け入れた絵柄だとは思えない。たとえ、その絵がありふれた画題であっても。
ぎらつくような色彩から薄墨、墨画まで、自由自在。絵巻など一人ひとりの表情に心が読み取れるようなこだわり。総カラーのマンガみたい。女房の髪のほつれまで描くディテールの妖しさ。きちんと見ていくと何時間かかるかしら、というほどの屏風絵。類型的で当たり前の歌仙絵でさえ、歌人に個性を与えて描く。その辺に微妙に又兵衛の教養を感じてしまう。元禄以降の浮世絵師では無理なのでは?
この際立つ個性には、織田信長の逆臣の子として、一族皆殺しの中、かろうじて逃れたという出自が関わるのではないかしら?下剋上の時代が終わって、繁栄を約束されるものと、そうでないものの色分けが決まった。そうでないものの中にはただ鬱屈する者と、逆に、何かを見てしまったことで世俗にこだわらず己の生き方を決めた者がいたのではないか?世捨て人ではないものの、生きることに対する価値観が内省的なところにあった、というか・・・又兵衛ってそういう人だったんじゃないかなあ、と直感。「精神性」なんていう言葉を持ち出すのは的外れかもしれないが、でも一種そういうものが感じられる絵の数々だった。(何にせよ、精神性というほど便利でいい加減な言葉はないが。)
千葉にいたる途中、ヲタ用のマンガ屋に息子がマンガ(のごくごく一部)を売りに行くのを手伝い、私も紀ノ国屋の袋一杯のマンガをマンガ屋のカウンターまで運んだ。(マンガを売るのなら、二袋でも三袋でも運んでやるさ。)
又兵衛を見てからは美容院に寄り、速攻で帰宅、昨日と同じく8時。昨日のようなことにしないため、犬をケージから出すとき、文字通り、手を当てるようにしてなだめて落ち着かせ、用足しをさせ、食事をさせ、薬を与え、それからやっと自分の食事である。はぁ・・・。(夫は友達のお見舞い兼飲み会、息子はマンガ屋のあと部活)
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