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昨日はちと早計だったかも―『悲しみの港』
本題の前に一言。 今日も仕事でした。出先から職場に戻るとき、新横浜で乗り換えだったので、駅ビルのラーメン屋で昼食。「ねぎ水菜チャーシュー麺」を頼んだのに、出てきたものには貝割れがこんもりと。間違えたのかな、と思ってよ〜く見ると、チャーシューの下に水菜がちらほら、で、ねぎはいずこ?さらに目を凝らすと・・・ああ、ねぎだ。
なんだか納得いかないなあ、と思いながらいただきました。味はまずまず。伝票の裏には「職人が手間ひまかけて慈しんで育て上げたスープと麺・・・」の文句。私の語感じゃあ「慈しんで育て上げる」ものといえば、いくら譲歩しても農作物までなんですがね。鶏がらの鶏なら、まあ慈しみもいたしましょう、生きているうちは。
大体、「職人が手間ひまかけて」と勿体ぶるのもお金を払うお客に対してどうかと思うんだけれどねえ・・・手間ひまかけるのが当然なんじゃないの?それで商売しているんだからさ。
さて、 『悲しみの港』読了。前半部では主人公の感情につきあうのがすごく厄介でつまらなかったのですが、次第にがまんできるようになり、最終的には、このどこか私小説めいた作品をよく出来た小説だなあと思うまでになりました。よく出来た、というのは、一つには破綻がないということ、もう一つは、この形をとらないと伝えられないだろうな、と感じられるような、主人公の精神的成長、周囲のいろいろな人への愛情や感謝、文学を目指す決意などが包括的に描かれていると思ったからです。藤枝という土地の地域性もうまく生かされ、杉崎たみという骨太婆さんの人物造形がとても魅力的です。
昨日の段階では恋愛小説か、と思っていたのですが、むしろ主題は主人公の成長・脱皮で、恋愛はきっかけに過ぎないようです。前半部で妙にうっとうしかった主人公の独白が、次第に意味のあるものとして聞こえてくるようになり、主人公につきまとっていたある種の重苦しさが消散していくことに気付いたとき、小川国夫の手腕に感心しました。見事です。やっぱり前半部の主人公はつまらない嫌な奴なんです。
しょうがないなあ、と思って、読み始めたのですが、これは教えてくれた知人に感謝をするべきでしょう。ただし、これが好きか、といわれると、やっぱり私にとっては好きなタイプの小説ではありません。
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