書泉シランデの日記

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『後鳥羽院』
2004年11月24日(水)

水曜日は会議の日ってことで、今日もむなしく長丁場。バカはあくまでもバカのまんま・・中くらいに賢い人は中くらいのまんま・・自分のことしか考えていない私は、やっぱり自分のことしか考えない。毎週、一皮一皮剥けるようにみんな賢くなれればいいのにね。

バカ1号=オヤジ2号が困るのは、話がいい方向へ動いているのに、その気配を感じられずにぶちこわすこと。おまけにこいつはカメレオンのような奴で(いや、そういったらカメレオンが気の毒か)、反論をされると、とたんに塩ナメクジのごとく、縮こまって、すぐ反論をした人の意見に乗り換える。同僚は「いいじゃん、簡単でさ。あんな動かしやすいオヤジいないわよ」というけれど、私は嫌だな。顔も嫌い、声も話し方も嫌い。オヤジに寛容なこの同僚は、当局からの紙きれには青筋立てて怒る。でも、私は目の前にいない人が作った書類には何が書いてあっても、あんまり心が動かない。面白いもんだ。

丸谷才一『後鳥羽院 第2版』のことを書いてこう。今、手許に本がないので、粗々にだけね。

最初の版が出たのはもうたっぷり昔だったと思うが、帝王にして稀代の歌人である後鳥羽院に目をつけて、たんねんにその歌を読み解いた若き日の労作である。読み自体には、なるほど、も多いと同時に、そうかねえ、もあるが、論を追うのはとても面白い。院の芸術性を持ち上げすぎではないかと思うし、先行歌との比較もしつこいぞ、と感じるが、でも、「読む」とは本来こういうことではないか。古典はこのごろ学者専用になってしまい、自由な読みに自主規制がかかりがちだが、それでは閉塞状況を招くばかりだ。丸谷才一のような人には、つまらん小説を書くのではなく、目利きの評論を書いてほしい。(稼ぎにはならんだろうけどさ。)

私自身は後鳥羽院やその周辺歌人を知らないほうではないと思うが、これを自由に味わうには不足もいいとこだった。引用歌が自家薬籠中にないと、感性の部分で共感するには至らないね。そらんじることが何よりだが、今となっては無理もいいとこ。慙愧、ざんき。

それにしても、教養不在の昨今、後鳥羽院=承久の乱=島流しされた天皇、という高校の日本史で習ったことが、どのくらい常識として人々の記憶に残っているだろうか。それがあるかないかで、この本に対する関心はひどく違ってくるのではないのかしら。

ご本人はもうこれで後鳥羽院はいいや、というところなんだろうが、できれば『時代不同歌合』を丸谷流に読み解いたものをまとめて読んでみたい。書いてほしいな。

そうそう、第2版を出すに当たってつけたした後鳥羽院の歌とモダニズムとの関わりは私には蛇足と思える。半端な比較文学的視点ってなにやら胡散臭い。
★★




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