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谷川俊太郎に「ネロ」という詩がある。教科書に載っていたから知る人も多い。愛犬が死んで、どこやらの夏がどーのこーの、というあれである。 何十年ぶりかに久しぶりに読み直した。 ああ、谷川俊太郎も若かったのだなあ、と至極当たり前なことを感じた。ネロの死を過去に残したまま、彼は新しい夏に向かって歩く。 この間から、死んだ犬のことが妙に気にかかっていたから読み直したのだが、どうも若き俊太郎くんとはシンクロ不可能だ。うちの息子はどうなんだろうな、と思うが、親が聞くようなことでもないから聞かない。 犬との日々は私にとって永遠にひきずっては愛でる過去になるのだろうか。愛犬の思い出話をいつまでも繰り返すなんて心底やだね。夫のほか誰に迷惑をかけるわけではないからいいようなものだが、そういう話をくどくどするのはダラシナイ。しかしこの先、私に新たな地平が開けるような新しい夏が一体来るのだろうか。まあ、まだ10回や20回は夏を迎える心積もりではいるけど、なかなか俊太郎くんのようなわけにはいくまい。 若いときは谷川俊太郎の詩が好きだった。でもだんだん面倒くさくなってきた。特に最近は御用詩人のようになり、耳ざわりのいい言葉を並べた小奇麗なキャッチのような詩が目立って、広告以外の場所でお目にかかるのはご遠慮申し上げます。(それなのに私は何度も街角でご本人と接近遭遇をしている。) それはそうと、和泉式部の歌に「今はただそよそのことと思ひ出でて忘るばかりのうきこともがな」というのがある。「忘るばかりのうきこともがな」とはよくいったものだ。おばさんの私にはこちらのほうが、はるかに共感できる。もちろん私の場合は式部と違い、亡くしたのは愛人ではなく愛犬ですなんで、誠に申し訳ありませんが。 ・・・犬の死から2ヶ月以上たった今、ようやくそのことを感情的にも受け入れようとしているのでしょうね。
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