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『遍歴』 神谷美恵子
2005年11月11日(金)

神谷美恵子、素敵。品がある。

自伝(と呼ぶしかない)『遍歴』はまさに、その遍歴の一端を綴ったに過ぎず、しかも全体に統一のとれた作品ではない。妙に細かいところもあるのに、結婚や転職、育児など実際に読者が知りたくなるような部分、「神谷さん、悩んだりしなかったの?」と言いたくなるような部分は極めてあっさりと通過する。物足りない、と思う向きもあろう。

が、そういうことって実は読んだところでしょうがないのだ。神谷さんの葛藤を「だよねー」と読むことは多分、私のような凡下の徒には心休まることだが、まったく参考にはならない。くだくだしい思いを吐露しない姿勢こそ参考にすべきものだと思う。「私」を「私」の中で持ちこたえることを倣うべきだ。

PH学寮の話が私には一番楽しかった。神谷さんを神谷さんたらしめたのはここでの経験ではないか、と思う。一方「愛生園見学の記」には隅々まで若さがあふれて、これも上等。

神谷さんの生涯を振り返ると、彼女が大変なスーパーウーマンのようであるが、実は相当に才能を分散させてしまった人だ、ということを思わないではいられない。失礼を承知でいえば全部中途半端。西洋古典の学者としても業半ばで、医学に転身するのだし、その医学も途中で家庭中心になったことでの中断があり、医学の進歩に貢献した、とまでの評価は難しいのではないか。英文、仏文等はディレッタントの域だろう(もちろん大変優秀な、と付言せねばならないけれど)。有名な一節を持つ詩はあるが、詩人という肩書きはいかがなものか。

だが、素晴らしいのは、そういう神谷美恵子だということだ。目指すものを持ちながらも、環境に逆らわず、その時々の方面で自分を磨いている。そうしてじっくり涵養された力が、ようやく愛生園で働けるようになった神谷さんを支えたといえるのではないか。また、その力があったからこそ、医療だけでなく、文章を通して人間の深遠さを我々に伝えられたのではないか。

まわり道は悪くない。目指すものを見出せるだけの教養、志を持続できるだけの強さが揃えば、まわり道は決してただの道草にはならない。問題はその二つが揃うかどうか、だ。

最近、しょーもない仕事がらみの本しか読んでいなかったけれど、久々に読む甲斐のある一冊を読んだ。長距離通勤もよきかな、よきかな。



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