書泉シランデの日記

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自治会経由の寄付
2005年12月05日(月)

自治会(町内会)経由で「歳末助け合い」をするというのは全国的に常識的な方法なんでしょうか?

「任意」です、といいつつも、「いついつ集めに来ますから」と班長さんが寄付袋を配布してくださる。集めに来るな、ともいえず、来られてしまった日には漱石一枚を袋に入れて差し出すことになる。

大体、この漱石一枚といううちの班の相場は高い。いつぞやそう言ったら、「オタクは二人で稼いでいるんだから、倍でもいい」と言われた。婆さんご冗談でしょう、である。そんなこと仰るのなら、二人で税金払って、年金払っている我家の前は相応に頭を下げてお通り遊ばせ、である。そうは申しませんけれどね。

問題の本質は額ではない。「任意」といいつつ、任意を許さない体質である。(春に来た、わけのわからん市の福祉協議会への寄付は、勇気を出して断った。でもさすがに二度続けて「出しません」といえるほどの勇気はない。)

私は二つ三つのNPOに総計諭吉1枚/年くらいは払っているのだから、都の共同募金会だの、ハイソのチャリティ臭の強い日赤だのを支える名誉は他の方に譲りたい。それに今あげた組織はどちらも天下りの方が沢山いらっしゃるところである。せっかくの寄付が、怪しい白いシリコンバンドのように、何に消えるのかわからないようなことでは全く信頼できない。交差点で寄付をせびる「原理」の連中と変わらない。

しかし、そうはいってもご近所で「ケチ」ならまだしも、「変り者」とレッテルを貼られ、災害時の食料配布なんぞでイジワルをされたら命に係わる。地方税ならぬ地元税だと思って払うのだが、実際、こういう集め方をしないと、福祉団体って年末にはたちまち破綻するものなんだろうか。個人の自覚と選択による寄付ができるほど成熟した市民社会じゃないから、隣組の相互監視による寄付が機能することだけは間違いないが。

こういうときに黙ってだすのが大人だ、と教えてくれる御仁も時々いる。そんな大人は嫌いだ。



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