書泉シランデの日記

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『宮廷の春秋 歌がたり女房がたり』」
2005年12月10日(土)

中世和歌研究者岩佐美代子のエッセイ。といっても、巷にあふれる作文本のエッセイとはまるで異なり、個人的な思い出話ではなく、岩佐美代子という人の学識と個性を通しての「古典へのいざない」的なエッセイである。知と情のハーモニーが大変心地よい。

幼くして、現天皇の姉のご学友を務め、戦前の皇室の雰囲気を体感し、宮さまにお仕えするという体験をもったことで、時を隔てた宮廷の女房たちの言葉を「心」で受け止める素地がはぐくまれたのだろう。もちろん、経験がすべてではなく、学問の積み重ねがあることはいうまでもない。だから、たいそう心地よいのである。

古典の解釈は、正確さを期そうとするあまり本文の魅力を押しつぶすような資料と説明の羅列、あるいは無味乾燥な現代語訳、さもなければ、妄想と勝手な思い込みになりがちだが、岩佐の手にかかると、それぞれの状況の中で生きた人間の言葉として過去の言葉が甦る。読みながら「『ともあき』くん、よかったね!為兼さんも、永福門院も伏見院も幸いでしたね!」と声をかけたい気持ちになる。ほんのわずかな詞章に生きた人間の面影を読み取るためには、その裏にどれほどの勉強があったことか。

広く読み継がれる有名な古典(たとえば「源氏物語」、歌なら八代集)もあるが、政治的状況等によって長く無視され続けてきた作品群もあるわけで、そうしたものを再評価し、文学史上に正当な位置づけをすることは、研究者の大切な仕事の一つである。それは決して凡庸な人間に出来ることではない。岩佐美代子の仕事は京極派和歌の見直しであった。

しかも、ただゴリゴリと無骨に進めるのではなく、対象へのあふれんばかりの愛情がある。学問的な著述はそれとして積み上げながら、こういう読みやすい形、なじみやすい形で一般の人に語りかけるところが素晴らしい。下手な古典入門書などを読むより、よほどこちらを読んだほうが、古典の世界の魅力が感じられるだろう。

見ぬ世の歌人の心を受け止める優しさもさりながら、そこはかとなく漂う品のよいユーモアに育ちのいい人ってこういう人なんだ、と著者自身にも心惹かれる。橋本治や田辺聖子では間違ってもこうはいかない。

それにしても初版が98年で、7年たった今もまだ初版のまま普通に入手できるなんて、嬉しいどころか、逆に憤りを覚えてしまう。よい本が売れにくい世の中であることよ。(しかし、カバー見返しの編集者?の紹介文を読んで、買う気になる人はまずいないだろう・・・どうしてもっといい文章にしなかったのか、ここんところ謎。)



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