書泉シランデの日記

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テツラフ、◎
2006年02月02日(木)

息子が家庭教師に行っていたお嬢さん、めでたく第一志望校合格。これで泥棒の母にならないですんだ。やれやれ。

テツラフの演奏で、ブラームスのヴァイオリン・ソナタを聞いた。
テツラフのことは数年前にバッハ無伴奏を聴いて以来、ひいきにしている。可憐なガボットがいつまでも耳に残った。

で、今日はブラームスである。あれ、こんなに動く人だったかな、と軽いオドロキ。記憶とは不確かなものである。しかし、けれん味やはったりのない演奏は記憶の通りで、ひけばひくほど、テツラフはどんどん自分と音の世界にのめりこんでいく。ショーマンシップからかけ離れた演奏家コンクールをやれば、間違いなく上位入賞である。聴衆はその小宇宙の外側から演奏を聴く。

決して否定的な意味で言っているのではない。音と自分との間に何者の介在も許さない真摯な演奏だ、と言いたいのである。これ見よがしのボーイングがはびこる昨今、禁欲的で気持ちのよい演奏であった。

アンコールはドヴォルザークのソナチネの最終楽章。思いっきり田舎臭い曲である。荷馬車と兵隊さんがすれ違うような曲。同じドヴォルザークなら「ロマンチックな小品」から取り出してくれればいいのに、ちとがっかり。

伴奏のフォークト、写真よりはかなり重たそうだけれど、なんだかこの人ジャズ弾いてみてもいいかも、と思った。会場で会ったチェロひきの知人は「リズム感はテツラフよりいいんじゃない?」とのたまうた。会場のピアノ、割ときらびやかな音で響く。アメリカのスタンウェイだからだろうという。ハンブルクのだと違うんだそうだ。

テツラフの楽器はグライナーとかいう人の作った現代の楽器である。私のザル耳にさえ、とてもバランスのいい音のする楽器だと聞こえた。どこやらの国ではストラディヴァリばかりがもてはやされているが、何かそれって権威主義的。ブランド志向丸出し。中には演奏家としての技量を見せるのか、高価な楽器を見せるのか、わからないような人もいる。新作楽器で自分の演奏をするってすごいなあ、と、これでまたテツラフに一層傾倒するのでありました。



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