2014年08月21日(木) |
鑑賞前夜の最後の予習 |
「京都大火編」を観るにあたって、第一作目をもう一度観ました。
あと、予習として心に留めておいた方がいいかな、と思ったのは、
PICT-UPのたけるんのインタビューの中でも次の部分。
「この物語に出てくる男たちは、全員すごく哀しい人たちばかり。
哀しい奴らが、哀しい奴らとしか戦っていない。剣心はそのことを痛いほどわかっている。(中略)
戦いのシーンそのものは、決して長いわけではないけれど、
ひとつひとつに登場人物それぞれの生き様みたいなものが、すべて反映されているんです。」
剣心もその哀しい人のうちのひとりなのでしょうが、
たけるんにとって剣心は「僕自身がこうありたいと思う、理想の人間像」なのだそう。
どれほど大変な現場でも、自分が理想とする人間像を演じられて、しかも
「ソード・アクション(刀を用いた闘い)を扱った映画の中で、
これほど革新的なことをしている作品を僕は観たことがないし、
間違いなく、日本映画が次のステージに行けたという手応えがある」
と。それは本当に幸せなことですね。
また、るろ剣はこれまでのキャリアの集大成なのでは? という問いに対しては、
「俳優と言う仕事は、現場が変わることでやることもまったく違ってきますから。
次の作品が始まると、これまでのものはすべて忘れて、ゼロから始めないといけない。
どれだけ苦労して剣心になりきっても、それが終わったら、
自分の中から剣心を抜いていかないといけないんです。
結局、俳優と言う仕事は、その繰り返しですから。
毎日、目の前の仕事に精いっぱいで、自分が成長したとか、
そういう実感を持つことがないんですよ」
こういうふうに言えることこそ、成長した証ではありませぬか!
わたしの中では、見た目は以蔵の頃から全然変わってないのだけど、
役者としての中身はとても強くなられた印象があります。
と言うか、あれ?
今回のるろ剣を観に行くのは、師匠が一番のお目当てだったはずなのだが?
(だって1作目は映画館では観ていない)
最後のほんの一瞬だけ登場する師匠(「京都大火編」では)を見逃さぬよう、
そこんとこだけは気をつけねば、としか思っていなかったはずなのだが?
ま、きっかけは師匠でも、作品もキャストもすべて楽しめるに越したことはないのです。
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