2005年08月15日(月) |
現実と真実とイメージと妄想との境界線 |
内面への収縮:
と
外面への開放。
それは全く相反するベクトルである。
例えばPCに向かい合っているとする。
初めに出現するキーワードに対して、事実に垂直に降下して行く。
そして、その発現する事実に対しての真実は一つだ。
コマンド、ID、ファイル、展開、選択…
道筋は無数に分岐するが、直前の問いかけに対しての答えは既に用意されている。
例えば、曲を書いているとする。
初めに出現するイメージに対して、時間に放射状に展開していく。
そして、その誕生する事実に対しての真実はアバウトだ。
アバウトな集合体である音符の構成に対しての答えは突然生まれる。
一つ、
二つ、
3
4
5 ・
・
・ といろんなケースが生まれる。
それらは一気に散弾銃の様に放射状に射出される事もあるし、一筋、流れ落ちた音が何かに弾けて飛び散る事もある。
予測不可。
作曲している本人にも解らん。
解らんから、あるキーワードをいくつか与えてやる事にする。
好きな展開、好きなフレーズ、好きなシンコペーション…それらに付加された義務とは、最初に出てきたイメージを踏襲する事のみ。
時にはその義務を破ってでてくるフレーズがある。
ソレもまた“可”。
ドグマに初めて書き下ろした曲は今はライブではやらないが、
「オクスリ箱」
と言う曲だった。
最初のイメージでは、ダークなイメージをポップに表現する事だった。
で、出来上がりはと言うと…
とぉ〜〜〜ってもポップなオサレ系になっちゃった。
アンケートでも人気曲だったのだが、その後に誕生した『発病』が全てをかえた。
つー事で、第二期ドグマではやらなくなった。
どんどんセンセーショナルな曲調と歌詞を求めるようになった。
と、同時に曲のまとめ方もだんだん自分なりに解るようになってきた。
書いて、録って、歌って録って…
完成された曲はドグマへ納品される。
そこから全員で解体作業がはじまるのだ。
コードの付け直しからアレンジの変更、構成の練り直し。
ドグマに関わった人間は全員同じ事を最初に言う。
「でも作ったヒトは櫻さんやから。」
違う、作った?生んだのは私だが、育てるのは我々五人だ。
全員で作業している時の櫻は母親の心境だ。
どんなコにそだつのだろう?
かなりみんなの意見を総括する役に回る。
生んだ時点で曲は櫻の手を離れるからだ。
最初は凄く抵抗があった。気に入っているフレーズが変えられている、そんなバッキングじゃね〜、ソコ、ブレイクだろ…
だが、だんだんみんなが創作するフレーズに信頼関係が出来上がってきた頃から、最初に作って行く曲には余計なものは加えないことにした。
だから一行のメロディラインにもめるもめる…
果てしなく作業は続く。
あえて音楽理論は紐解かない。
結構テキスト通りにいくと、開放性を持つ属性の作業のはずなのに、なにやらマトリックスの中で組み立てている錯覚に落ちるからだ。
そこでみんなの人間性を考慮しながらあわあせていくのだ。
音楽っていいですね。
先日難波ROCKETSさんでご一緒させていただいたバンドさんに、
「ヴィジュアル系なんや〜思ってたら、メロデスだったんすね〜。」
と言われた。
ん〜〜、ちょっと世界観違うねんけどな。
櫻のOS自体はPCの均一なるマトリックスの世界に身を委ねる事に向いているんだと思う。
だが、櫻のアプリは全く予測不可なマクロに向かうように出来ているように思われる。
早い話…
PCに向きあっていると、前頭葉即頭部が異常警報を放つ。
曲を書いていると、現実逃避しながら、その形のない球体に同化しようとしている。
曲が完成した時、夜眠れない。
瞬殺型の睡眠剤と継続型の眠剤、補助の眠剤を同時に経口投与するが、ねれない。
テンションが上がりきっているのだ。
かの坂本龍一氏は作曲をしている時、勃起していると聞く。
スイッチが入るのだろう。
そんな作曲四方山話を、作曲中の現実逃避で書いてしまった。
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