ことばとこたまてばこ
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2004年11月20日(土) 見えなくて聞こえなくて、はは、たいへん

聾の翁は老眼鏡をかけてる。
老眼鏡はとてもブ厚く、黒目がぐりぐり巨大に強調されてて。

聾の翁は眼鏡外すと何も見えなく聞こえなく。
触覚も痛覚ももはや廃れ果てて。

聾の翁の目前に遠方より何十年ぶりに訪れた息子がいる。
健聴の息子は父の孤独を知りえなくって。

聾の翁の傍らで「父さん、大丈夫かい」息子は語りかける。
五重にもぼやける視界はいかんともしがたくて。

聾の翁は窓際のベッドで人物が通りすがり日光を遮ったのを感じ、そこに手を伸ばした。
息子は見当違いのところに手を差し出す父がいとも哀れで手をつかみ誘導して。

聾の翁は人間から掴まれる感触を久方降りに感じた。
息子は父の手が存外に冷ややかなことを知って。

聾の翁、笑った。
息子寝たきりの弱々しい父に鼻ぶん殴られた感じがして。

聾の翁は鈍痛の止まない手を上げて手話を話した。
「父さん、おれだよ。ひさしぶりだね」息子無駄言だと考えつつも言葉止まらず。

聾の翁、手の甲を頬に当てスルリと下方になで下ろす手話を言った。「だれ」
「父さん、おれだよ。おれだよ」息子は不意に手話を思い出して。

聾の翁、手を眼の前で一度二度振る手話を言った。「みえね」
息子は父の動悸を感じるほど密着し、顔に顔を近づけて。「おれ!」

聾の翁、眼を見開き息子の顔を両手で掴んで更に自分の方に引き寄せた。
息子は父の白く濁った眼に、眼を覗きこまれ、どきどきして。

聾の翁、息子の両頬を自分の頬に交互に当てた。
息子は頭髪越しに感じる父の手に比べ、頬はなんとぬくいこと、と驚いて。

「よう。おれのむすこ」


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