ことばとこたまてばこ
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2004年11月26日(金) ロクデナシな野郎でさ

「おとっつあん、どなしておれの耳は聞こえんの?」
太郎は聞いた。酔った父親はへらへらと答える。
「ははは、そっら、おめ、あれだ、金だ」
「金?」
「うふふふ、そうだよ。かーね」

酔ってんなあ、このつるっパゲ。聞こえなくなったのが金だって。へっ、おもろ。

「おめえがこれっくらい小さいガキの時によ」
赤ら顔で手を30センチほどの幅に広げて言った。
「うちぁ、貧乏でなあ」
しみじみと遠くを眺める眼をしてゲップ。眼つきとろとろとしててどうにも危なっかしい。
「金なんてなくてなあ」
太郎はいい加減酒臭い息の充満する4畳部屋に滞在したくなくて不用意な質問をしたことを悔いながら適当に相づちを打つ。
「ほんと貧乏でなあ。爪が燃えるかと思うたよ、あの時」
はあ、はあ、はあ、と太郎、荒い息づかいのようなうなずきを返す。
「母ちゃんも出てったしなあ」
母親の話が出るといつも太郎は朧気に感触の残る母のおっぱいを口元に感じた。
「おめえを置いていってさあ、おめえも不憫だよなあ」
太郎はもう幾度も聞いた話をまた再び聞く。
「その時、どっかで知ったんよ」
いつもはぐだぐだと同じことを話すのに、珍しく話が変わりそうな感じの口調であったので太郎「ん?」と父を見つめた。
「おれの友達がさ、障害者なんだよ」
父親の口は生まれてからずっと見てきた口。
「車に事故ってさ、足動かなくなってよ、車椅子にのってんの」
過去と今の父親のひげを比較してみると、白ごまのように白いものが混じっている。
「そいつ、初めはすげえ落ち込んでさ、だからおれがいつも慰めてやったんよ」
細かい皺も増え、肌も肌色とは言えないほどに複雑な色合いを醸していた。
「おめえも知ってるはずだけどな。覚えてっか?おう?」
聾の太郎は、音を知らずとも父の口だけは、リアルな声を伴って聞こえる。
父親の問いかけに太郎は首を横に振った。
「そうかい。ま、ええ。それでよう、そいつがさ、ある日から突然よう笑うようになったんだよ」
へえ、父親が友達の話をするのは初めて聞くなあ、と太郎は思った。
「そりゃもう、不気味なくらいでさ、おれ気になってよう、聞いたんだよ」
父も老けたな、と思う。
「障害者年金だよ!…ってでけえ声であいつ言ったんだよ」
年金?障害者?
「ははは」
急に父親は意味の取れない笑いをあげた。
「あいつもともとロクデナシな野郎でさ、働くのが嫌で嫌で、家でゲームばっかりして仕事なんか半年も持ったことがない奴なんだよ」
太郎は話についていけなくなった。眉をひそめ、首をかしげながら父親の口元を見つめる。
「障害者年金って等級にもよっけど、まあ、重いほうだと1年で100万以上近くもらえんだよ」
父親の老けた口。欠けた歯の奥に暗闇がちらちら蠢く。
「あいつの怪我は足だけで上の方はなんともないから、もらった年金で一日中ゲームやってんだよ」
じっと、太郎、見る。
「そんでおれ、ああ、そうか。って思ってよ」
じっと、太郎、見る。
「こんぐれえ小さい頃のおめえの耳をとがった鉛筆で突いたんよ」
太郎、鼓動凄まじく。
「はは、うまいこといった」
感情の震える余地もなくうちのめされた太郎、呆然と。




自分の耳を 突けば 良かったんじゃ ないのか



声色はもはや蚊の羽音のよう。
だがしこたま酔っている父にそんな声聞こえるはずもなく。



はは 酒が んめえなあ


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