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私は花が好きなので、女性を良く花に例える事がある。 自分の心の中でそっとそう思うだけだ。美しい花なら媚びていると 思われるかも知れないし、その人が必ずしも、その花に好印象を 持っているとは限らない。
百合は華やかであり 凛と立つ姿は、何とも言えず気高く美しい。 でも仏花っぽいイメージもあるし、香りも大変に好き嫌いがある。 花粉は一旦服に付くと取れない厄介物なので、仏花用のは取り去ってある。
薔薇はケバイ、棘があると言う人もいるだろう。菊は辛気臭く思われがちだ。 どれも、咲いている姿は美しい。
アジサイは私の大好きな花だ。特に青い色のものが好きだ。 最近はハイドランジアと呼ばれ、ピンクとか星咲きなどの園芸品種がどんどん 生まれているが、元々日本の庭先にあった、あの青いアジサイが私は好きだ。 アジサイの花は好きだが、この花のイメージを人に対して持つ時、それは 必ずしも 好意的な思いばかりではなかったりする。
アジサイは水を良く飲む。雨の少ない年は 駄目になりがちである。 水遣りを少しでも怠ると たちまち葉は黄色くなり、しおれる。 かなりの大株になっても、いや 大株のアジサイこそ その傾向があるように思う。 「出来ればずっと水を注いで。せめて私だけにでも」 そう言っているように思える。そんな時がある。 暑い中、沢山の蕾を抱えている。無視は出来ない。水をやれば葉を立ち上げ 満足そうな姿になるのは 判ってはいるのだが。
この人は愛されていなければ枯れてしまうのではないかな。 人は多かれ少なかれ、愛はやっぱり必要だと思うが、アジサイのように 常に水を注ぐような愛が欲しいのだろうと感じる人が、稀にではあるが居る。 その愛が満たされていれば彼女は幸福そうであり、きっと綺麗な花を咲かせて いるのだろうと思う。だが、形勢の変化に弱いと言うか、直ぐにしおれる。 「ここが辛抱時だぜ」 他人事だからか、自分は思うのだが アジサイにそれを言っても無駄である。 綺麗に咲かせるためには、やはり他の花より確実に多くの水が要るのだ。 水は、優しい言葉であったり、態度であったり、自分の思い付きや行動に 対する、許容の広さであったりするようだ。
アジサイさんは 別に私にとっての困り者と言う事では、ちっともない。 ただ 本人がいつも苦しそうであり、いつも不幸そうだと言う事なのだ。 暑い盛りに沢山の蕾を抱えて雨を待っているアジサイのように。
アジサイは秋、花柄を採らないと勝手にドライフラワーになってしまう。 一旦咲いてしまうと、秋冬は、施肥さえしておけば世話要らずだ。 アジサイな奥様や恋人を持つ心当たりのある人は、更年期過ぎる辺り まで頑張ってみると言うのはどうだろう。 ドライフラワーになってくれるかも知れないからお得だ。 それって枯れてるとか言っちゃ駄目だ。
どころで私は 男性に対しては「牛に似ている」「山羊に似ている」と言う 感想しか持たない。彼らの精神性をないがしろにしていると言う事であり これはとっても、失礼だよね。
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