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2006年06月19日(月) ブドウとレモン。


手に届かない、あのブドウは酸っぱいに違いない。

イソップのキツネとブドウに出て来る、これは酸っぱいブドウの機制。
アンナ・フロイトの防衛機制の一つ、合理化機制に含まれる。
防衛機制と言うのは、適応出来なくなった心の状態を何とか適応しよう
とさせる無意識の心の踏ん張りだ。

踏ん張りには内向きなのと外向きなのがあり
例えば「昇華」「代償」などは外向きの踏ん張りだ。
爆発しそうな心を褒められる行動にとって変えてみたり、他の事を
頑張ってみたり。

内向きの踏ん張りには「引きこもりや逃避」「退行」などがあるだろう。
内向きとは言え踏ん張っているので、他の機制に変えて欲しいと思っても
中々出来る物ではない。

「合理化」はこれで言うと外向きなのだが、これをしない人は
いないんじゃないか?と言うくらいものすごく身近な行動であるから
私は好きなのである。


この酸っぱいブドウの機制は「手に届かないものは価値が無いもの」と
自分に納得させて心のバランスを取る行為だ。
これとセットになった「甘いレモンの機制」は逆に「自分の物となった
物ゆえに価値がある」とやはり無意識に自分を納得させる行為だ。

ブドウは甘く、レモンは酸っぱい。
無意識は判っている筈なのだ。だが それではままならなさに押し潰されて
生きて行くのも辛くなる事だってあるだろう。
人間は心の生き物だ。心のバランスだけは常に取ろうと躍起になっている。


まだ10歳ぐらいの子供のころ、父がこう教えてくれた
こっにち来て、レモンの木から教わりなさい
愛なんてものを信じてはいけないということを
お前がいつか、愛がこのレモンの木のようなものであることを
知ってしまうのではないかと、心配でしょうがないんだ
(PP&M 『レモン・トゥリー』)

この歌ではレモン(愛)がいかに見た目と裏腹に酸っぱいものか
お父さんが息子に教える。自分もレモンの機制で失敗しているのかも
知れない。

ところが息子は恋におち、父の言葉を忘れ、手痛い目に遭う。

手痛い目に遭った息子が反省して歌は終わるが、やがてこのレモンは
届かぬブドウへと変わり、新しいレモンが息子の手の中に姿を現すだろう。

人生も甘いレモン。届かぬブドウを追い続けても、疲れて心から駄目に
なってしまうに違いない。疲れた心では何も追えない。
それよりは、選んだ道を時には無理矢理にでも肯定して見せる事も
必要だろう。

それが、本当は自分の欲しかった物ではないのだと言う事は 心の奥底に
そっとしまっておく。
ブドウはほとんど幻想なのだろうと考える。



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