目次 / 戻る / 進む
2006年06月23日(金) |
膝が痛いよ、お母さん。 |
一旦食べた物は死んでも吐どさない。 息子のこの体質は父親譲りのものだ。他にも余りにも快便とか。 父であった人には思うところは沢山ある。今となっては良い事は殆どない。 だが、胃腸が丈夫な人であり、息子にそれが遺伝しているらしい事は 有難いと思う。
私は子供の頃、ストレスで良く吐いた。 今の息子の歳よりはずっと大きくなっていたが、高校生くらいまで それがあったように思う。ちなみにそんなでも痩せませんでした。
息子が左の膝の痛みを訴えるようになったのは言葉が話せて直ぐで あったと思う。初めは異常があるのかと思ったが、翌日は全く元気に 走り回っているのと、どうやら叱られた日の夜に、膝の痛みを訴える ようであった。 叱られて、上手く謝れなくて、お母さんが怒ってて、悲しい、寂しい。 私は「寂しい膝」とか「寂しん病」と呼んでいた。 小さな湿布を貼って、しばらく撫でていてやると、眠ってしまう。 もちろん翌日はけろっとしているのであった。
何時の頃からか、「足が痛いよう」と訴える事が少なくなった息子。 私の記憶では、ここ1年ほどは殆どなかったように思うのだが。 幼稚園年長くらいから、何とか周囲に馴染めるようになり、足の痛みを 訴える事もその頃からぐっと減って行った。
昨夜、息子の部屋から唸り声が聞こえるので 行ってみると足を押さえて 丸くなっている。「足が痛いよ!足が痛いよ!」とべそをかいている。 押さえているのは、やっぱり左の膝だった。 膝はどこも悪くないのだ。悲鳴を上げるほど痛いのは息子の気持ちなのだろう。
昨日、一昨日と、ヨッチャンのチクリ攻撃により、息子の心は傷付いて しまった様子である。 学校でやったお馬鹿な事を毎日玄関先で逐一親に報告されると言うのは 口下手な子供にとって、結構な精神攻撃になったのだった。 昨日は息子がインターホンで応対したが、ヨッチャンは「お母さんを出して」 の一点張りで、振り向いた息子の顔が情けなかった。 インターホンからは「Rちゃんじゃないの!お母さん出して!」と言う 勝気な声が響いていた。 本当は、子供が特別は好きではなく、小生意気で嘘吐きな子が特に嫌いな 私は、その時点で「何様だ貴様」と思ってはいたのだが。
息子の足をずっと撫でてやる。痛がり方も幼い頃よりずっと激しくなって いた。私がこれまでして来た事の間違いについて、悲しく考えさせられた。 久し振りに一緒に寝る。息子は更に大きくなっていて、余りの寝苦しさと 多分、すかしっ屁をされてしまったのだと思うが、余りにくさいので 息子が眠りに付いたのを確認して明け方、部屋へ戻った。
息子が弱いとは、私は思わない。 むしろ強かにこれから生きようとするだろう。強かに生きるための術を 仲間や敬愛する人物や書物と、随所で学んで行くのだろう。 私は母親として、息子がそれを出来る力のないうちは 石があれば一緒に 退けてやる事もしなければいけなかったのだろう。 「何故、お前だけが退ける事が出来ないの?」 こればかりを言って来た気がする。
昨日も一昨日も、結局ヨッチャンは自分の告発によって、息子が私に 叱られ、告発した自分は褒めて貰い、その日の居場所を提供して貰える と言う、哀れで単純な考えに基づいて行動したに過ぎなかった。 だが、彼も犠牲者だとは もう思わない。
私のような半端な母親に、そんな余裕なんぞない事が良く判った。
|