目次 / 戻る / 進む
昨日の日記は、さすがにちょっと恥ずかしいから消した。 時間帯が遅かったからか、実は余り何も憶えていないのだ。
今日は薬の話を書く。
私の薬の服用歴は長い。子供時代は元気で、ビオフェルミンを 胃腸が丈夫になるようにと 時々祖母に飲まされるくらいだった。
メンヘルとかメンヘラーとか、そんな言葉を聞いたのは割と最近だ。 そうした薬を服用する人々が一種コミュニティーのような場所を作り 語り合うようになったのも、ネットが一般に浸透した頃からであろうと思う。
高校生の時、身体に不調を覚えた。 そこから、処方された薬を飲む生活が始まる。 初めは飲んだら丸一日、眠ったままと言う事もあった。あれは何の薬だった のか、今とは違うからネットは勿論、お薬辞典も、説明を書いた紙も 何も資料になる物は無かった。 これでは学校へ行けないので薬を変えて貰う。 今度は病的な症状が現れる。 思春期で体調が不安定な頃に持病の自律神経系の症状が強く出たのだと 今では思っている。だがそう言う診断ではなかった。 その頃、たまたま行った脳外科で、普通と変わった脳波が見付かった。
会社に通勤していた頃の私の服用薬は 朝、ヒダントール、テグレトール2錠、安定剤数錠 夜 ヒダントール2錠、テグレトール2錠、安定剤数錠、睡眠薬 こんな感じであった。 大きな感情の振幅には身体の方が耐えられなかったのだろう。 後で知った事だが、腸の動きを鈍くする副作用がある薬もあった。 過敏性大腸炎に罹り、更にどっさりと薬が増える。
その後の生活も同じような感じだ。 結婚も、出産も、医者は否定的だった。周囲が苦しむだけだと言われた。 私は無神経なので、余り気にしなかった。出産は考えなかったが。 普通に生きる。 若かったので、気力だけはいつも充実していたと言う事もあった。
10年以上も苦しい思いをした。 色々な人との縁もあり、今は変わった脳波はクセのような物であり 病的な物ではないと診断されている。 ヒダントールの処方が無くなり、テグレトールが一日1錠なので楽になった。 だが自律神経系は曾祖母から弱く、各代に出ているのでこれはもう仕方が ないと思い、その薬を飲んでいる。これは持病と言う物だろう。
薬も随分変わった。抗鬱剤は飲まないのでリタリン禍などは避けられた。 だが様々な薬を飲んでいる。手元にある小箱は薬で溢れている。
少しばかり体重が減ったり、身体に変化が起きると、薬の調整をしないと いけなくなるようだ。この頃そう感じる。
ただ、薬だけではどうにもならない事の方が多い人生だった。 本当につらかったのは病などではなかったなと思う。
|