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性病話の次の日なので、どんなコンボにしようかと迷いました。 実際は平凡な一日でした。またカラオケに行ってしまいましたが。 息子の声が少しだけ低くなって来ている事に気が付きました。 変声期とは別物で、どちらかと言うと声そのものと言うより 声域が 下がっているような感じです。
親しい人とのメールでのやり取りは、当分出来そうもないと かなり以前に 書いたのですが、今でも盛んにしています。都度違う相手の方には おそらく 迷惑なくらい書いたりしています。 元々長文が癖なので、読むのも大変だと判ってはいるんですが。
ずっと以前、初めの頃は、当たり前にようにメールが来る事に戸惑いました。 メールの数が増えるに従い、そう言う物かと思い、嬉しくなりました。 メールは定期的に来るので、定期的にPCを開けて、丁度入ったところだと 本当に嬉しくなりました。 それが何故かは良く判らなかったけれど。
メールが無くなる事がどうして辛いのかも、初めは判らなくて本当に 困ったものでした。 昨年から時折、自分の気持ちの不安定さと向き合ったり 目を逸らしたり、結果醜態とも言っていい物が日記として未だ残っています。 自分が知りたかったのは、何が自分をそれほど悲しくさせるか それだけだったんだけれど。 一日に決まった数のメールが来て、同じように返す。 それが無くなるのは確かに残念ではあるけれど、それほど悲しくなる 事でもない様な気がしました。
自分が、随分寂しい人間である事に気が付くまでに、しばらくかかりました。 名前を呼んで、心を傾けてくれている様な文面を読むと、寂しい事を その時だけは忘れる事が出来たから、それが無くなるのが辛かったんでしょう。 情けない結論です。
これからはそう言うメールのやり取りはしたくないです。 今も長文メールは書くけれど、気になる事や情報や、やっぱり『縁』で 知り合った方ばかりだから 日々の様子は気になるし、そんな感じで 書いてます。 結局長文になるし、数も多いんで呆れられているかも知れませんが。
メールで送れる情報は限られています。 それに寄りかかってはいけないんですが、メールでのやり取りに対する 知識自体が 自分には少々不足していたと思います。 長い期間に及ぶ、特定の人とのメールのやり取りは、苦い教訓を残しました。
く〜だらないやり取りも、優しいやり取りも、目をみながらも 会えない 人とも 同じに出来るように、取り巻く状況が変わっても、疎遠になっても また会える事があったらいつでも楽しい会話が交わせるように。 自分自身 徹底的に不信感を持ってしまった感のある、今回の例は悲しいので 二度は同じ事をやらないようにしたいなと切なく考えます。
ネットで色々なやり取りを経験している方には、これはごく初歩的な わざわざ書くほどもない失敗談なんだろうなと思います。
だけど苦しいと思った時は、色々こうやって、独りよがりでも書いてみた方が 良い気がするもんで。 少しずつ、調子が戻ってきたように思えます。
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